自己をならふというは自己をわするるなり④ [相手を思う心と親切なふるまい]
「自己を忘れる」は忘れる話というより、むしろ、忘れる体験を思い出すことです。端的に言うと自然に親しむことです。正法眼蔵には、親しむということばがたくさん出てきます。例えば「山河の親切」。共感的な想像を英語でempathy(エンパシー)と言います。相手を思いやる状態、親しくふるまう行為が「自己を忘れる」修養になるのです。

みちびく –
静かに、心を落ち着ける
ちかづく –
手本に、近づける
ゆだねる –
ゆだねて、声をカタチに
くりかえす –
じぶんの声を聞く
とりだす –
ふりかえって書く
きいてみる –
じぶんにたずねる
よりそう –
人のことばによりそう
「自己を忘れる」は忘れる話というより、むしろ、忘れる体験を思い出すことです。端的に言うと自然に親しむことです。正法眼蔵には、親しむということばがたくさん出てきます。例えば「山河の親切」。共感的な想像を英語でempathy(エンパシー)と言います。相手を思いやる状態、親しくふるまう行為が「自己を忘れる」修養になるのです。
エンパシームは、音声研究の先駆者、梅田規子さんの遺志を継いでいます。エンパシームは「声ことば」をいれたタイムカプセル。色粒の種(Seed)に見立てた「声ことば」が、じぶんのふるまいで育ちます。Seedは、みずからのことばを聞いてふりかえり、じぶん自身に「気づき」をもたらしてくれる、細やかな震えや響きをもった大切な友です。
I am the seeds.(シードでできているじぶん)
Do one Deed a day.
てつおさんのエンパシームエピソード。日々のプラクティスが500回続いています。1日、5分のプラクティスは、エンパシーム30つぶが、一日一善。毎朝、声の出し入れが、日毎の糧になります。てつおさんは、飾らず、構えず、何も考えずにできるから、しぜんに続くと言います。そして、じぶんの声で体調の微妙な変化がわかる、と言います。
