Forgive to live.(よく生きるためには、ゆるすこと)
昨日のエンパレットから、話は続いています。
「共感のふるまい②
また、こちらのエンパレットとも。
ゆるす [声にしてあげてしまえば]
「じぶんがされたくないことは、人にはしない」という、思いやりのプラクティス、
相手の身になる・共感が、ゆるすこと。
と、どのようにつながっているのでしょうか?
すこし、想像してみましょう。
じぶんがされたくない、と感じること。
それは、もうすでに起きてしまったことですね。
やりきれない気持ち。
それをおさえること?
いいえ、じぶんは人にしないと思うことで、救われます。
話は逆ではないの?
こどもの時に、教えられたことがある?
やられたらやり返せとか、
許したら損するとか。
Forgiveness frees you.(ゆるしは、じぶんを解き放つ)
ディビッツ博士は、このように言います。
「ゆるす、ということについて誤解を解こう。
ゆるすとは、ただ忘れよ、ということではない。
問題の出来事を覚えているかどうかではなく、それをどのように思い出すか。」
「ゆるすとは、あやまりを正すことではない。
また、人のあやまりを容認することでもない。
ゆるしは、じぶんの心を表すもの。
相手に正したり、価値判断をするものではない。」
「物事の和解するには二人の人間が必要だが、ゆるすのは一人だけ。
相手が関わっていてもいなくても、ゆるすことはできる。
また、ゆるしたら、だれかの責任が消えるのではない。
ゆるしは、じぶんの心、じぶんの姿勢。」
Choose to hurt and suffer less.(痛みを選べば、苦しみは減る)
ゆるすとは、考え方を変えることです。
というより、考え方は変わらないので、その考えが土台としているパラダイムをそっくり変えることです。
理不尽な世界に戦いを挑むとか、じぶんが得するように生きるといったパラダイムでいる間は、救いがありませんから。
だからといって、何かを帳消しにしたり、他人を判断することでもないのです。
ゆるしとは、過去に受けた怒りや傷から、現在の平穏を取り戻すプロセスです。
心の平和を回復し、将来への希望をつくりなおす、プラクティスなのです。
出典・参照:Dick Tibbits 『Forgive to Live』、以下のエンパレットなど