No act of kindness is ever wasted. (親切なふるまいは決して無駄にならない)
親切。
切るという字をつかうのは?
刃物に触れるぐらい、身近か、という意味からきています。
切実、切迫、といったことばの「切」も、近さを表しています。
親切にする、とは、相手に近づいて、手を差し伸べたり、寄りそうことです。
互いに近くに感じられる時が、親切な心。
一方的に「近い」ということはありません。
英語は、kindnessということばがあります。
kindとは、やさしく感じられる状態。
語源は、kin(家族)です。
Act with kindness, don’t expect gratitude. (親切に。でも見返りは求めず)
相手のため、人のために。
やさしい人とは、何かしてくれる人ではなく、近くによりそってくれる人。
その人のためを思ってやってあげようとすることが、余計なお世話にとられることもありますね。
じぶんのためにでも、見返りを求めることではなく、相手のためにすることは、親切にならないのでしょうか?
また、いいことをしてあげる、ということがじぶんの満足になるにせよ、その人のためになることだったら、やさしい行いになるのでは?
何をしてあげるかにかかわらず、近くに寄りそう、共にいることが感じられたら、きっと、余計にならないのでしょう。
何かをしてくれても、共に歩むだけで。
何をしてあげられなくても、そばにいるだけで。
親切を決めるのは、じぶんではなさそうです。
その上で、親切であろうとすることには、とても意味があります。
おなじように、何もしてもらわずとも、親切を受け取ることも、いくらでもできます。
道元禅師の『正法眼蔵』には、親切ということばがたくさんでてきます。
「山も河も、じぶんに親切」
親切な心の中にいると感じられる時。
今日のエンパレットの写真は:
葉っぱの親切と、
花の親切です。
よく、見てみてください。
ハチドリを待っている葉っぱと、
アリがすべり落ちないようにみまもる花びら。
親切は、近くに寄りそうこと。
植物のように、じぶんから動いていかなくても、寄りそえます。
Be kind. (愛語をかけよ)
出典・参照:以下のエンパレットなど
自己をならふというは自己をわするるなり④ [相手を思う心と親切なふるまい]