W.Eugene Smith 『Minamata』

135年の操業が幕を閉じ廃鉱となる引き金になったのは、1972年に出 版された『ライフ』という写真雑誌の特集記事『排水管から流れ出る死』だった。

それは「外側から客観的に写実」するという報道写真記事ではなかった。写真家ユージン·スミスは水俣の人々とともに暮らし、被害者家族との関係を築きながら共同体の内側を漆黒のモノクロ写真によるフォトエッセイで描いた。

母に抱きかかえられて入浴する娘(「Tomoko in Her Bath」)は、四肢全身が麻痺し、目も見えず耳も聞こえない。

それは、環境汚染 による食物連鎖と生物濃縮によって有機化した水銀の鉱毒が人間の中枢神経を破壊する事実ばかりでなく、公害の被害者·遺族には、何重にも重なる 苦難の現実と、その中で生きる人間の勇気と不屈を浮き彫りにした。

古の昔からいのちをつないできた郷土の名前が病気の名称となり、それがさらに 「救済の線引き」ということばで切り裂かれたされたミナマタ。

ともに生きる人間に対しても、自然に対しても、「共感のまなざし」が偏り、欠乏す る社会の現実は他人事ではない。妨害の暴行にあって脊椎を痛め失明しながらも渾身の仕事を続けたスミス自身はこう綴っている。

「写真は小さな声 に過ぎない。だが、一枚の写真が人の心に響き、遠い人々への理解や共感をもたらすこともある。」( *注1)

人間は、土と、水と、空気と、 そして隣人とともに生きている。それらはみな、向きあい、ふれあい、心をこめて、「その身になれる相手」である。

Empathemian, Almaden Quicksliver Park

農業·水産業の盛んな当時のカ リフォルニアにとって「ミナマタのピエタ」に象徴される共感の衝撃は大きかった。

レイチェル・カーソンが勇を鼓して鳴らした警鐘『沈黙の春』に よってアメリカ社会でも少しずつ目覚め始めていた、人間を超えるものへの畏敬の念と生態系へのまなざし。「ミナマタ」はそれをもう一歩、社会の 認識として定着させる後押しとなった。



共感の精錬 (8) 現代社会の過剰がもたらすもの へつづく

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(*注1)共感の精錬 (12) 付記 ① 水銀・人間の心・エンパグラフにて、補足します。