Courage happens when you don’t know the answer.(答えがわからないから、勇気になる)
答えを知ることではない
の:もう一度、聞くけどさ、答えを聞くのではないの?
ド:じぶんにたずねる行為そのものに意味がある。
の:意味があるって?答えがわからないのに?
ド:答えがわかっていたら、勇気は出てこないよ。
の:でも、答えを探すんでしょ?
ド:「はい、これがあなたの答えですよ」と教えてもらっても、勇気はでてこないよ。
の:それは、わかる気もするけど、いまひとつ、つながりがわからないなぁ。
ド:答えがわからないから、勇気が出るんだよ。
の:じぶんで答えを知ろうとするから、出てくるの?
ド:そう。ただ、正解がひとつあるわけじゃなくて、じぶんにとって大切な答えをつくること。
の:答えってじぶんでつくるものなの?
ド:そうだよ。何でも答えがある、決まっているわけないんだから。
「勇気→行動」ではない
の:勇気があるから、勇気のある行動ができるんじゃない?
ド:ちがうよ。
の:どうして?
ド:人の勇気ある行動をみた結果、「勇気がある」って言うだけ。
の:だから、勇気があるから、勇気ある行動ができたんでしょ。
ド:そうじゃないよ。そういうふうに後から言えるだけなんだよ。
の:後から言える?
ド:そう。勇気が先にある(原因)じゃない。
の:勇気がないのに、思い切ってやったら、それが勇気になるの?
ド:そうやってすこしずつ、くりかえされて勇気になっていくんだよ。
「原因→結果」ではない
の:勇気が先にあるんじゃないのかあ。
ド:考えてごらんよ。はじめから身体の中に入っているわけじゃないんだから。
ド:行動した時に、行動したことが、じぶんの勇気として育つんだ。
の:先にやって、後から、勇気ができるの?
ド:それがくりかえされるってこと。
の:次に行動した時に、前のことが支えになるの?
ド:そうだよ。
の:行動できないのは、弱虫で怖がっているからできないんじゃないんだね。
ド:行動しないことやできないことを指して、後から、そう言うんだよ。
の:悪口だね?
ド:そう。たいてい、じぶん自身にむけて悪口を言っているようなもの。
の:そうか。ぼくは弱虫じゃないんだね。
ド:そんな人、どこにもいないよ。じぶんで、弱虫呼ばわりしちゃうだけ。
の:そうか!早く言ってくれればよかったのに!
の:だんだん、わかってきた気がする。
ド:何が?
の:ドラえもんが言ってることが。
ド:それは、よかった。で、何が?
の:ぜんぶ、おなじだってこと。
ド:ぜんぶ、おなじ?
の:そう。「原因があって、結果になる」って思いこんでいるだけだって。
ド:そう、それ。
の:勇気の話だけじゃなくて、みんなおなじパターンになるよね。
ド:のびちゃん、やるなー。
の:勇気の代わりに、「元気はどうして出るの?」もおなじだね。
ド:「元気があるから、出てくる」というふうに「原因→結果」で後から考えることに慣れているからね。
の:何かをするから元気がでてくるってことなんだね。
ド:そうそう。ふるまいが、元気をつくる。元気になる。
くりかえす、ふりかえる、わかちあう
あえて、文法ということばを使ってみると気づくことがあります。
文法は、ことばの使い方のルール。
だから、どこかに書かれたものがある。
そういうイメージが強いので、じぶんが身につけるふるまいであることを忘れています。
自然に、気づかないうちに、プラクティスとして身につけるものが文法。
文法書を読んで、ことばを話したり聞いたりするようになる人はひとりもいません。
することで、できるようになる。
わかる以前に、すこしずつできるようになって、だんだんわかってくる。
勇気も元気もおなじです
はじめから、勇気や元気の在庫があるわけではありません。
行動することで、後から、だんだんできてくる。
私たちはふだん、何かを考えようとする、前後関係を部分的に取り出して、逆にしてしまうクセがあるのですね。
勇気の文法は、そのような時間順の上に成り立ちます。
構成要素は、上の図のようなイメージです。
下から三層になっています。
勇気の文法
勇気の源(支え):修養・ふりかえる・ふるまう
勇気の素(勇気の中身、対象):共感・よりそう・ふれあう
勇気の糧(エネルギー):想像力・ことば・つながり
もちろん、これらのことばは、イメージしたり、思い出したりするためのことばです。
勇気も元気も、出てこなければ意味がありません。
いきなり、出てこない。
正解があると思うと、出てこない。
そもそも、先にあるのではない。
試しにやってみることだけ。
勇気の素、タネのようなもの。それをまいて、手入れをすることなのです。
出典・参照:以下のエンパレットなど