Why not? (ん? まかない? まくでしょ?)
「修養」とは、思いを育てることです。
それは、思いを声に出して、じぶんという土の上に、タネをまくこと。
タネをまかなければ、芽は出ません。
「タネまき」は、心が育ち、実を結ぶことの必要条件です。
① 思いのタネをまかなければ、行為にはならない。
② 行為のタネをまかなければ、習慣にはならない。
③ 習慣のタネをまかなければ、自覚にはならない。
④ 自覚のタネをまかなければ、使命にはならない。
①のはじまりが、肝心です。
ですが、すこし、力をぬいて、気楽になりましょう。
タネをまけば、芽がでる。それだけ、です。
「思いのタネ」というものが、はじめからあるわけではありません。
声にだして、じぶんを聴くから、ことばが思いになっていきます。
つまり、「タネをまこうとする行為が、思いをつくる」のです。
① 思いのタネをまけば、行為になる。
② 行為のタネをまけば、習慣になる。
③ 習慣のタネをまけば、自覚になる。
④ 自覚のタネをまけば、使命になる。
素直にうけとめて、やってみればよいのですね。
ところが、「素直になる」ということが、じつは、いちばんむずかしいことなのかもしれません。
なぜかというと、わたしたちは、ふだんから「素直にならない」練習をしてしまっているからです。
え?それ、どういうこと?
① 思いのタネをまいたからといって、すべてが行為になるわけではない。
② 行為のタネをまいたからといって、すべてが習慣になるわけではない。
③ 習慣のタネをまいたからといって、すべてが自覚になるわけではない。
④ 自覚のタネをまいたからといって、すべてが使命になるわけではない。
そのとおりです。
「必要条件は、十分条件ではない。」(*注1)
むずかしい話?
いいえ。じつは、私たちの頭のほうが、じぶんでも気づかぬうちに、ものごとを、むずかしくしてしまいがちだということなのです。
まだ何もはじまらないうちに、頭の中で、あれこれと先まわりしてしまっています。
想像で先まわりだけでなく、そこで「やらない」方向に進んでしまうところが、落とし穴です。
タネはいくらでもまけます。
そのうちの、ひとつが育てばよい。そう、思えば、ずっと気が楽になります。
たくさんまくから、芽が出るタネがある。そう考えてみましょう。
つい、やる前から「そんなことしても、ムリ、ムダ」ということのほうに気をとられてしまう?
なぜ、先まわりしてしまうかというと、「失敗はいけない」という話に慣れていて、そのことに気づかないままだからです。
タネをまくのに、「失敗」などありません。
また、「正しいこたえ」がひとつ、あるのでもありません。
まけば、芽がでるタネがある。
そして、その芽をじぶんで育てることができる。
まいてみなければ、だれにもわからないのです。
いそぐこともありません。
肝心なことは、頭の中で考えているのではなく、身体でふるまうことです。
声に出して、ことばを言うことは、身体を使ってふるまうことそのものです。
ひと息のセリフ(Seed )をまくのに、わずか2-3秒でできるのですから。
Relax. Let it go.(体の力をぬいて、気を楽に)
Practice Empatheme.(エンパシームは、思いのタネのカプセル)
思いのタネをまく(3)じぶんというタイムマシーン (明日のエンパレットに続く)
(明日のエンパシームアプリに配信します)
思いのタネをまく (1) どうやって?(昨日のエンパレット)
流れ星とねがい ②
いますれば、やり直せる(何度でも)
ねがいのドリル
こわれて、はじめてわかる
出典・参照:坂口立考 講演『つくる』、英プラガイド、毎プラガイド
・東洋大学理工学部でのオンライン授業にて、エンパレット演習 (2021.4-7月)
・広尾学園中学校でのオンライン講演『つくる』(2021.6.24)
・飯能第二小学校でのオンライン講演『英プラ・思いのタネをまく』(2021.7.13)
・ベトナム貿易大学でのオンライン講演『Create』(2021.5.31)
(*注1)「必要条件、十分条件」ということばは、考えの整理に役立ちます。でも、その受けとめ方、捉え方が、より大切です。ことばを使う姿勢をプラクティスすることです。
必要:それがないと、はじまらない。(それだけ)
十分:それがあれば、前進できる。(それだけ)
そもそも、わからないこと、こたえがないことに、じぶんでひとつこたえをあてはめしてまう(だれかが言っているらしいことを鵜呑みにしてしまう)ことさえ防げれば(減らせれば)、このことばはとても役にたってくれます。
「あ、タネをまけば、芽がでるよね。花も実も、きっと咲くね。」と、素直に感じられる心が、思いのタネの中にはいっているのでしょう。