Act as an empathemian

すべての物事は共感しあっている。
心はつながっている。じぶんという存在は、みな共に、その中にある。
このことを、身をもって体験でき、その実感を身近な日常に活かせたら、きっと世界はちがって見えるー。

世界は「共感素」でできている

思い切って、声に出して、毎日じぶんに語ることで、わたしは気づきました。
共感素とは、相手とじぶんを結びつける瞬間のこと。ものでも、生きものでも、人間でも、自然でも、じぶんがふれあい、関わるものすべてが相手です。
その小さな実感を捉えることができたらー。

10年ほど前に、私は「エンパシーム」を着想しました。
エンパシー(共感)の最小単位、共感というテーマ、それを表現し、わかちあう意味を合わせた造語です。
周囲とじぶんが共に感じられる、ほんの小さなひと時を、すくいとってカプセルにつめる。
それを彩のあるつぶに見立てたイメージに写しとって、いつでも持ち運べて、使えるようにしたい。

それ、想像の世界でしょ?
思いを胸に刻む。大切な瞬間を忘れないようにする。そういうことを言いたいの?

そうです。それが、できるようで、できません。だから、それが目に見えて、手に取れて、本当に使えるようにしたい。
本当に、共感素を実現したいのです。

共感素を実現する。

試行錯誤。制作が8年を過ぎましした。そして、エンパシームは、メソッドとして形になりました。
エンパシームは、無意識的な身体動作(例えば、声、息、手先の動き)でつくる間(ま)、それが自然に連なってできる、ひとつの流れです。
そのなかに、素のじぶんが入っています。

どういうこと?
試していただければ、すぐにわかります。ですが、文章で説明することは、とてもむずかしいことでした。

5年前より今日まで、じぶん自身で、毎日エンパシームをつくってきました。一度も途切れたことがありません。

なぜ、続くのだろう?
なんだ、そういうことだったんだ。

これまでの過程で、私は、ようやく肝心なことに気づきました。たしかに、ある瞬間に共感の素とも言えるような思いの断片が入っている、と想像することはできても、日常生活のすべてにあてはめるわけにはいきません。
日常のすべてではなく、静かに落ち着いたひと時にだけ、エンパシームが「共感素になる」のです。
そのように、手助け・手伝いをするしくみを設計しなおしました。
たとえば、1日の1%、15分。その小さなひと時にプラテクティスするじぶん。
そこでつくるエンパシームを媒体として、わかちあい、活かすことで「共感素」になるのです。

Be the change you wish to see in the world.

じぶんが、希いそのものに、なること。 希いを毎日、声にすること。

迷うことがなくなりました。3年前、非営利の財団法人エンパシームファウンデーションを創設し、エンパシーム利用環境の提供を開始しました。以来、多くの方に、声かけ、エンパシームを役立てる研究と開発を進めてきました。

エンパシームをつくると、共感素になる。

だれでも体験できる、エンパシームからはじめよう。
現在、英語のプラクティスを身につけるメソッド「英プラ」の公開にむけて準備中です。
英プラは、英語を身につけるプラクティス。毎日のプラクティスを身につけるメソッドです。

あとから、つくり直し、つなげられる。

もうひとつ、思い切って言ってみたいことがあります。きっかけは、さかのぼって、あとから生まれるのだ、と。
エンパシームをつくってから、そこに後から意味ができてくるのです。この「毎プラ」の中で紹介する。5歳の私の体験ストーリーは、その一例です。
なぜかというと、小さな時のカプセルというアイディアは、あの頃から、ずっとずっと思いねがってきたことだからです。
エンパシームによって、短いことばを声にする間(ま)が、ミニマル (最小限)の力でできるようになり、大切な意味が、あとから生まれてくる、という体験をなんども実感しました。

ねがいになる、プラクティス

エンパシームにふれて、私は、じぶんに身近な世界がこれまでと違って感じられるようになりました。
ねがいは、植物のように、育つものなのです。わたしには、そうとしか思えません。
「ねがいがかなう」というのは、毎日気持ちを持続していくうちに、じぶん自身がそのねがいになっていくことなのだと思います。
ねがいとは、ねがう気持ちをくりかえすプラクティスのこと、そのものなのです。

ぜひ、エンパシームを体験してみてください。「英語を使う人になる」プラクティス「英プラ」は、必ずあなたのねがいの味方になります。「毎プラ」は、毎日を大切なことばでプラクティスする体験です。