Sit calmly.(しずかに坐る)
「行住坐臥」(ぎょう・じゅう・ざ・が)ということばがあります。
これらは、人間の身体の基本姿勢です。
そのなかで、
坐るというと、坐禅を思い浮かべるでしょうか。
坐禅とは、古来からの知恵の形。
ブッダにおける禅定、古代インド諸宗教の瞑想坐でした。
ひとり静かに坐ることこそ、人間の精神にとって根本的、ということを示しています。
『荘子』にも「坐忘」ということばがでてきます。
「端座して一切を忘れ去り、道と一体になった境地」という意味です。
大和和尚との対話から。
立考:何のために坐るのでしょうか?
大和:「何のために」はありません。
立:ただ静かに坐り、何もしない。
大:そうです。
立:坐禅ですか。
大:坐禅に限らず、でしょう。
立:坐るとは、「ゼロ地点」のじぶんが居る所かな。
大:坐る=(イコール)何もしない、です。
立:坐って、忘れるということですか?
大:坐って、何もしない。忘れている状態。
立:そのシンプルなことが、むずかしそうですね。
大:脳が働きすぎになっています。休めることです。
立:ニュートラルにない状態。偏っている状態。
大:そうですね、ギアがはいったまま。
立:それを戻す。
大:戻す、というより、戻るようにしむける。
立:静かに坐る。すると、じぶんを忘れる?
大:じぶんの力ではありません。
じぶんで何かしようと思わないことです。
立:何もしないことを、坐る行為に結びつけているのですね。
大:まず、静かに坐る。それだけです。
『ゐ』:静かに坐る。何もしない間をつくる。
Just sit. Be still for a moment.
何かを身につけるには、忘れることから。
じぶんが気づかずに身につけているクセ。
いったん捨てること。
でも、そのようなことを意識してすることはできません。
ふだん、気づいていないのですから。
でも、坐って、何もしない、という方法があります。
それは、無意識のじぶんにアクセスする方法です。
エンパシームは、静穏の場をつくります。
流れにそって、
ひと呼吸、待つことが間をつくります。
あとは、その流れに委ねて。
エンパシームでふりかえってみましょう。
何もしないじぶんの姿に映るものがあります。
出典・参照:『荘子』大宗師篇、『毎プラガイド』、以下のエンパレットなど