上田閑照『生きるということ』の一節より。
きれいな空のある晩、星を見るともなく眺めていると、たまたまあるひとつの星になんとなく集中していた。その時に、ふと奇妙なことを思いついた。あの星に誰かがいてもしこちらをみていたとしたら、私にあの星が見えているように、向こうの誰かにもこちらがみえているのかなと思ったのだ。
そうすると、またかわって、私があの星にいるような感じがした。私があの星にいてこちらの地球を見ていて、こちらの地球があの星のように見えている。いや、いまあの星が見えているそのままが、あの星にいる私に地球が見えていることだ、という感じ。
くるっとひっくりかえって私があの星にいるという想念がでてくると同時に、一種の無限性が顕われたのだ。これは単に空間的な広さということだけでなくて、その空間的に巨大な距離が手掛かりになってでてくる無限性ということ。
星からこっちをみたらどうだろうかというそれが出発点になって、逆の方から見るという見方の逆転が経験された。そういう見方の逆転を通してはじめて無限性にふれることができる。そしてそのように見方が変わる可能性はどこにあるかというと、私が星を見ている時私自身を動かない出発点にしていることがなんらかの意味で忘れられるというところにある。
その時本当に星を見るというその中に、ふうっと我が我を忘れた形になってあのような感じが実際にでてきた。これは人間のあり方としてあらためて考えてみても、やはり、本当にそういうことだと思われる。根本的にいうと考えを換えなければならない。
自分を出発にして考えるという考え方がどこかで翻らないと、そういう無限性に触れることはできない。そして、無限性にふれてはじめて何かを手放すことができるようになるのだろう。
相手の星になる。
出典・参照:上田閑照『生きるということ』