Empathemian『たなとと共に』

Unlearn yourself.(じぶんを忘れよ)

哲学者・西田幾多郎の歌から。

かの椅子に よりて物かき 此床このとこ
入れて またふす 日夜夜毎にちやよごと

この椅子のおかげで物を書き、この寝床に入って寝る毎夜よ。このじぶんを、椅子が、布団が支えていてくれるー

じぶんひとりが頑張っているのではない。
じぶんと共にあるものがある。

それは、エンパシー(共感)です。
相手とふれあっていること。

共感の相手は人間に限りません。
光も水も空気も、じぶんと共にあります。
そのように感じられる時があります。

私たちはつねに、身の周りの「もの・こと」に支えられています。
そのことを思い出す時、じぶんの存在に気づけます。

共感は、頭で「相手の立場を考える」ことではありません。
じぶんを忘れるときに、自然にあらわれるものです。

共感の素はいくらでもあります。
何の変哲もない、ふつうのものでよい。ふれあうことです。

「自分が考えているんだ」といった自分中心の構えを、いったん取りはずす必要があります。
それにはまず、その気分をゆるめること、和らげることです。

ものに心を寄せてみること。

身近な例を思い浮かべてみましょう。
たとえば、お風呂のお湯につかった時。
美味しい桃を頬張る時。
「自分」のことなんて、忘れていますよね。
それが、本当のじぶんです。

自分から出発して考えるのではなく、相手の身のつもりになると、じぶんが浮かび上がってきます。
手にふれる小さなもの、ひとつで、気持ちをかえることができます。

You realize yourself when you interact with an intimate thing.(慣れ親しんだものにふれて、じぶんを思い出す).

出典・参照:『西田幾多郎全集』、以下のエンパレットなど

「ものに語りかける」

「相手と共に紡ぎ出すことば (身のまわりの時間と空間のアフォーダンスによって)」

「共に生きる:花とミツバチの相互アフォーダンスのように」

「学びは、じぶんの身に結びつけること」

「相手があるから、美味しい」

西田幾多郎