修養する人になる

新渡戸稲造『修養』の一節に、こうあります。

「人生の目的は何だと思うか」と聞かれたことがある。僕は、あること (to be) で、為すこと (to do) は第二義であると言った。」

to do (すること)よりも、to be (なること)。

修養とは、何をせよ、何をするなという個別のことよりも、「修養する人になろうすることです。
そして、それをいつもねがう心をもっていることです。その、心の向きを保つこと、それを確かめることが修養なのです。

・何をするかよりも、どのようにあるかの姿勢。
・何をしたかではなく、どのようにあったか。

・おこないは、姿勢からしぜんに生まれてきます。

修養の中味とは? (2)

教育は、だれかが教えてくれること。
修養は、じぶんで身につけること。

「じぶんで」することが、修養になります。
それは、どんなに小さな、ささやかなことでも、かまいません。
その小さなことを大切にする姿勢が修養になります。

修養の中身。それは、静穏のじかんをもち、姿勢を正す場をつくることです。
そして、そのおこないが身につくように、じぶんのことばでふりかえることです。

修養に、「間違える」とか、「失敗する」といったことは、ありません。
じぶん自身に心をむけるか、そのふるまうかどうか、だけです。