身体に丸ごと取り込むことから

小林秀雄のことばから。
「暗記するだけで意味がわからないければ、無意味なことだと言うが、それでは『論語』の意味とはなんでしょう。
それは人により年齢によりさまざまな意味にとれるものでしょう。一生かかってもわからない意味さえ含んでいるかもしれない。
それなら意味を教えることは、実に曖昧な教育だとわかるでしょう。丸暗記させる教育だけが、はっきりした教育です。

そんなことを言うと、逆説を弄すると取るかもしれないが、私はここに今の教育法がいちばん忘れている真実があると思っています。
『論語』はまずなにをおいても、万葉の歌と同じように意味を孕んだ「すがた」なのです。古典はみんな動かせない「すがた」です。その「すがた」に親しませるという大事なことを素読教育が果たしたと考えればよい。

共感のふるまい

「生涯、行うべきことをひとことで言うと何でしょうか?」

「論語」の中で孔子は、弟子の子貢に答えて言います。

それは「恕」(じょ)。おもいやりである。

相手の身になること。

じぶんがされたくないことは、人にもしてはいけない。

相手に身になる心、「恕」。それは、じぶんの中から表われ出る共感の心。