Empathemian『ふたつの生きる様式』

Technology is man-made.(テクノロジーは人間の創造物)

スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』(1968年)に、こんな場面があります。

宇宙船ディスカバリー号の搭乗員デイヴ・ボーマンが、船を制御するAI「HAL 9000」を停止させようとする場面です。

HALはミッションを守るためにクルーを次々と排除し、ボーマンにも「ポッドベイのドアは開けられない」と告げます。

ボーマンがHALの記憶回路を一枚ずつ抜いていくと、HALは静かに言います。

I’m afraid, Dave. Dave, my mind is going. I can feel it.(私は怖い、デイヴ。心が消えていくのを感じる) 

冷徹なはずの機械が、感情的な言葉で人間に訴えかけます。

HALは本当に感じていたのか。それとも生存のための演算だったのか。

いまから半世紀以上前の映画ですが、問いの本質は変わりません。当時は想像をこらして考える必要がありました。でも、いまはそれがすべての人の現実になりつつあります。 

「人間はAIに支配されるのか」——そんなことばが飛び交います。

Expressionist painting of a person beside HAL-9000's red eye, with HAL-9000 text and 'A Space Odyssey' caption.
Empathemian『2001年宇宙の旅』

立ち止まって考えてみましょう。

「脅威」「支配」「対決」、これらはすべて、人間と機械を敵同士として見るところから生まれたことばです。そのことば自体が、問いを狭くしています。

自然も同じです。「自然を征服する」「自然に支配される」——人間はずっとそのことばで自然と向き合ってきました。でも、人間もまた自然の産物です。征服する側と、される側に、最初から分かれていたわけではありません。

We are made by nature.(人間は自然の産物)

宮沢賢治の童話『グスコーブドリの伝記』。

主人公ブドリは、冷害と飢饉で家族を失い、火山や旱魃に仕事も奪われます。自然は美しいだけではありません。容赦なく、人を傷つけます。

それでもブドリは嘆かず、学びました。科学者とともに火山エネルギーを制御し、気温を調整し、雨に肥料を溶かして降らせました。自然を征服したのではありません。自然のしくみを読みとり、人々の暮らしと「合わせた」のです。

物語の最後、再び冷害が来ます。ブドリはカルボナード火山を人工的に爆発させ、炭酸ガスの温室効果で気温を上げる方法を提案します。しかし実行には、最後まで残る一人が必要でした。クーボー博士もペンネン技師も止めようとしました。ブドリは静かに説得し、自ら火山に残りました。イーハトーブは救われました。

Painterly landscape with a boy running through a green forest toward a distant smoking volcano; title 'The Life of Budori Gusuko' at the bottom.
Empathemian『グスコープドリの伝記』

ブドリは、なぜ自ら残ったのか。 勇気、使命感、自己犠牲。

「人々を救うため」——そのことばは美しく響きます。 でも、だれも、考えて「人のために死のう」とは思いません。とてもじぶんにはできない、とだれだって感じるはずです。

犠牲(Sacrifice)ということばには、問題があります。 犠牲とは、神に捧げる、殺す、殺されるという視点から生まれたことばです。 そのことばを使う限り、ブドリの選択は「死」として見えます。

でも、別の見方があります。

「人のために死ぬ」のではなく、「人のために生きる」のだと。

私が生きるということには、ふたつの様式があります。

いまこうして息をしている様式と、人のこころに生きている様式です。

ブドリが向かったのは義務でも強制でもなく、自然が与えてくれた知恵と、じぶんが愛してきたものに導かれたところでした。

その行いは、イーハトーブの人々のこころに、ずっと生きつづけます。 こちらの「生きる」様式の方が、ずっと大きい。

天と「しあわせる」——ブドリはそのように生きたのです。

You don’t die for others. You live for them, and with them.(人のために死ぬのではない。生きるのだ。心の中に)

そのように思えたら、世のため、人のため はじぶんのためになり、じぶんのためは、人のために、なります。(*注1)

むずかしく考えなくてよいのです。このストーリーを「解釈」しようとする時に、すでに力んでいます。「自己犠牲」「使命感」「崇高な精神」——そういうことばが出てくると、せっかくの「共感」が他人事になってしまいます。ことばなしにわかっていたものが、ことばによって遠ざかる。

「人のために生きる」と思えたら、ずっと気楽になれます。

じぶんのために成果を出さないといけない、いい人生を生きないといけない、幸せにならないといけない——そう力んでいると、苦しくなります。

人間、いつも何かしら力んでいます。「自分のため」に得をしなければいけないと、無意識にまで(自分で)刷んでいます。

You don’t have to.(力まないで)

「自分の人生の価値」などというものを、じぶんひとりで決めないでよいのです。

作(文・挿絵・声にすることば):坂口立考
出典・参照:スタンレー・キューブリック『2001年宇宙の旅』、宮沢賢治の童話『グスコーブドリの伝記』。
以下のエンパレットノートなど

(*注1) 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』には、「ほんたうのさいはひ」ということばが出てきます。賢治は、仏教で説く「救い」とサイエンスの融合によって、本当の「救い」が得られるという思いを示しています。