Reflect on yourself.(じぶんをふりかえれ)
寺田寅彦『
100年前の今日を想像してみましょう。
「学校の講義と言ってもいろいろの種類があるが、その内にはただ教師がふところ手をしていて、毎学年全く同じ事を陳述するだけで済むものもある。
そういうのは蓄音機でも代用されはしないかという問題が起こる。
それからまた黒板に文字や絵をかいたりして説明する必要のある講義でも、もし蓄音機と活動写真との連結が早晩もう少し完成すれば、それで代理をさせれば教師はうちで寝ているか、あるいは研究室で勉強していてもいい事になりはしまいか、それでも結構なようでもあるがまたそうではなさそうでもある。
こういう仮想的の問題を考えてみた時に、われわれは教育というものの根本義に触れるように思う。」
「私は蓄音機や活動写真器械で置き換え得られるような講義は、ほんとうの意味の教育的価値のないものだろうと思っている。
もし講義の内容が抜け目なく系統的に正確な知識を与えさえすればいいとならば、何も器械の助けを借りるまでもなくその教師の書いた原稿のプリントなり筆記なりを生徒に与えて読ませれば済む場合もあるわけである。甲の講義を乙が述べてもそれでたくさんなわけである。」
「しかし多くの人が自らその学校生活の経験を振り返って見た時に、思い出に浮かんで来る数々の旧師から得たほんとうにありがたい貴い教えと言ったようなものを拾い出してみれば、それは決して書物や筆記帳に残っている文字や図形のようなものではなくて、到底蓄音機などでは再現する事のできない機微なあるものである事に気がつくだろう。」
You can only internalize anything when you practice it.(どんなことも、実際にすることで身につく)
当時の蓄音機を、現代のネット動画などに置き換えてみるとどうでしょうか?
おなじことが言えそうです。
知識をうるだけならウェブで調べれば済む。
オンラインで講義もあるし、動画で欲しい情報はかなりそろっている。
でも、そこには、ないものがあります。
ふりかえる体験。
つながる体験。
わかちあう体験。
ことばは、じぶんの身体を通して、はじめて内面化します。
人のことばが、心でインナースピーチ化して、じぶんのことばとして定着するのです。
『蓄音機』の結びのことばに、こうあります。
「蓄音機に限らずあらゆる文明の利器は人間の便利を目的として作られたものらしい。
しかし便利と幸福とは必ずしも同義ではない。
私は将来いつかは文明の利器が便利よりはむしろ人類の精神的幸福を第一の目的として発明され改良される時機が到着する事を望みかつ信ずる。
その手始めとして格好なものの一つは蓄音機であろう。」
エンパシームは、人間に備わった力を引き出して、それを具体的に使えるようにするしくみです。
人間に備わった力とは、自身の心によりそい、また、じぶんとおなじ体験をする他者とのつながりを感じる想像力です。
一瞬一瞬の声のつぶつぶ。
その周りの空気。
声のつぶがつながり、まとまることでことばになり、共感という想像力をつくりだしているのです。
エンパシームは、その力を引き出し、大切なことばを取り出すフィルターの働きをします。
フィルターを通して抽出し、心身に定着することばが、あなたのインナースピーチです。
声のあることばが身体の血肉となります。
ことばが身につくとは、じぶんが変化することです。
その変化に気づいてくれる他者がいます。
あなたに共感する人の存在。
生きる喜びがそこにあります。
便利だけでなく、「精神的幸福」を体感できる世界は、じぶん自身の声のつぶつぶの中にあるのです。
出典・参照:寺田寅彦随想集、以下のエンパレットなど
耳順(耳したがう)とは?①(人のことばをじぶんの声にかえる)
インナースピーチ 心の中のことばを抽出する(6)内語のシードをまいてじぶんを育てる