What I do is what I get.(じぶんのふるまいが、唯一の持ちもの)
禅の導師、チェリ・ヒューバーさんは、こう言います。
「辞書を引くと、プラクティスとは、意識的・意図的なものという前提で説明されています。
対象は何にせよ、定期的にくりかえして、スキルを上達させること。
じぶんが何の目的でやっているか、意識していること。
でも、現実は、無意識的にプラクティスしていることのほうが、意識的なプラクティスより、はるかに多いのです。」
「思い浮かべてみましょう。
朝、起きてから、夜寝るまで。何かをプラクティスしています。
たとえば、ランチタイム。
何を食べようか?
どこで食べる?
食べ方は?
だれと?
あなたが気づいていないだけで、決まったパターンを持っています。
たとえ、いつも同じ店では食べないとか、いつも同じ人と一緒に食べない、といっても、
ランチに対するアプローチの仕方には、ほとんど柔軟性はないでしょう。」
たしかに、言われてみればそうですね。
気づかずに、習慣的にしていることばかり。
ふだんの生活は、何らかのプラクティスの集合体。
環境に条件づけられた、私たちの生活に、たまたますることはとても少ないのです。
もちろん、プラクティスではないこともあります。
気づかずに、パターン化しているかどうか見分ける方法は?
チェリさんは、こう言います。
何かに行為を、邪魔された時。
ものがなくなったり、壊れた時。
予定がずれた時。
いつもどおりでなくなると、その瞬間、イライラしたりしますね。
それは、ふだんから何かをプラクティスしているから。
ものごとは予定どおりにいくもの、いかなくてはいけない、と考えるプラクティス。
そんなつもりはなくても、頭の中で、そういうふうに考え、とっさにふるまうクセを身につけているわけです。
イライラすることも、また、プラクティスの賜物。
Unlearning matters most. (すでに身につけている、じぶんのプラクティスに気づくことが最重要)
時々、このことを思い出すだけでも、役に立つことがあります。
物事が思いどおりにならない時に、落ち着くことができます。
そして、何かを身につけようとする時に、役立ちます。
それは、大事なことに気づけることです。
何かをはじめても続かないのは、すでに身につけていることがあるから。
新しいプラクティス以前に、古い、別のプラクティスで埋まっているから。
古いプラクティスはなにもせずにはなくなりません。
「入れ替えしよう」という気持ちになることが、実はいちばん重要です。
出典・参照:Cheri Huber 『What you practice is what you have』、英語トレイル・センスシード
Life is in the giving (英プラ トレイル3(96))