修那羅山の石像・長野県筑北村(日本石仏協会)

「新緑がくっきりと野山の形を描き出す季節になりました。

芽吹きどきのぼうっとした柔らかい輪郭の風景に目を細めていたころとちがって、緑のグラデーションから発散してくる精気に、はっと身をひきしめている日々です。緑という色彩は休息の色でもありましょうが、心を高揚させる色でもあるようで、ひとの活動を促すのでしょう。新緑の季節、世の中人の往来が賑やかです。

いえ、人ばかりではありません。

わが家のまわりに生息するいきものたちは、伴侶をもとめてあたり憚ることなく鳴きたてています。玉をころがすような「かじか」の声が瀬音にのって響いてくると、その間を縫うようにしてソプラノ歌手の小鳥の歌声(残念ながら鳥名不詳)、そこに負けじと老練なうぐいす、その他美声の持主は幾種類も登場します。おなじみになった「からす」のとぼけた一声にわが家のにわとり夫婦のささやかきが呼応します。いくらか湿り気を帯びてきた夜ともなればあおはずくの哀調の呼び声に、思わず庭に出て聞き耳をたてます。そのうち川辺にゆらゆらと蛍が…  

こんな、奥武蔵の小さな田舎に暮らしていると、ご近所の石仏さんはみんな友達のようなもの。

あそこの弁才さんもこちらのお地蔵さんも、このさわやかなかじかの声に聴き惚れているだろうなとか、隣町のお不動さんの滝壺には水は落ちているだろうか、たまには行ってあげないと..などと。他愛のないことと笑われそうですが、昔の人も今もさして変わらない農村の暮らしの中で、今よりずっと敬虔に石仏を祀っていたのですから同じような思いがあったろうと想像します。都会を除けば、日本の風土の自然のありようはいずこも同じようなものだと日本列島を縦断していて思います。このような風土だからこそ日本の石仏・石神は生まれたのですね。

世界の国々をみても国土に緑の量が多いところでは、神様の数が多いように思います。その土地の自然が持つ生物多様性と神々の創造は、きっと深い関わりがあるのでしょう。」

みな、緑に包まれて、共にくらしている。

出典・参照:坂口和子『野のほとけにみちびかれて』、日本石仏協会ホームページ

日本石仏協会