Empathemian『The Emperor”s New Clothes』

アンデルセンの童話 『裸の王様』の話をおぼえていますか?

「目に見えない服」を着て、街を行進する王様。
いえ、王様のお付きの者たちにも、街の大人たちにも、「王様の服」は目に見えません。

新しい服が大好きな王様は、仕立て屋のことばにだまされていたのです。
「じぶんの役目にふさわしくない、愚か者には、その服は見えない」というつくり話。
はじめから服などどこにもないので、本当は、だれにも見えないのですが、だれもそのことを言おうとはしません。
だれもが「実は何も見えない」ということを、人に気づかれまい、としていたからです。

行進する王様をみた、ひとりのこどもが言います。
「王様は何も着ていないよ。」
そのとたん、みんなの目が覚め、王様も、じぶんが裸で歩いていることに気づきます。
でも、途中で行進をやめるわけにはいきません。
物語はそこでおわります。

この話の続きを考えてみましょう。
王様は、何に気づいたのでしょうか?
順に考えてみましょう。

① 服など着ておらず、裸で歩いていた。

② じぶんが、ウソにだまされていた。

③ みんなが、ウソにだまされていた。

「王様は服を着ていない」という、少年の具体的なフィードバックがありました。
そのおかげで、じぶんの置かれている状況には気がつきました。

「あの人は、裸の王様だ」といったことばを聞くことがありますね。
率直に意見や忠告のできる部下や友人がいないために、過ちに「気づかない」人を、陰で非難することです。
ただ、そのように言う人もまた、「裸の王様」を見て何も言わないお付きや街の人々に似ています。

もし王様が、落ち着いてじぶんをふりかえり、踏み込んで考えたとしたら、どうでしょうか?

④ なぜ、だまされたかのか?

⑤ 本当は見えていないということを人に気づかれたくなかった。

⑥ 人は、そういう気持ちを持っているのだろう。

フィードバックを素直に受け入れると、セルフ・フィードバック(じぶん自身を省みる)が促されます。
そして、なぜそうなったのかに、思いが行きます。

でも、ここで内省が途切れてしまうと、王様はもっと肝心なことに気づかないままかもしれません。

Empathemian 『王様は何に気がついたか』

もし、王様が、これをきっかけにして、毎日じぶん自身に問いかけるようになったとしたら、どんなことに気づけるでしょうか?

⑦ じぶんは(人は)じぶん自身の心に気づいていない。

⑧ もしかすると、気づかずにいることが、もっとたくさんあるかもしれない。

⑨ どうしたら、そのこと(⑦や⑧)に、じぶんで気づけるのか?

⑩ 気づいていないことに、じぶんで気づくにはどうしたらよいか?

私たちは、だれしも、「じぶんの後ろ姿」を直接見ることはできません。
後ろ姿どころか、じぶんの表情も直接見ることもできません。
ましてや、じぶんの心の中も、直接見ることはできないのです。

じぶんの姿やふるまいについて、何もせずに気づくということは、ないのです。
でも、厄介なことに、「よーし、これから気がつくぞ!」といって意識しよう、というわけにもいきません。

王様は、裸だったことや、どうしてそんなことをしてしまったかを、考えたことでしょう。
でも、そこから一歩踏み込まないと、⑦〜⑩に気がつかないままでいることでしょう。

「気づく」ことは、一瞬の心のできごとですが、じつは、それは「気づこうとする習慣」に支えられているのです。

・「じぶんは気づいていなかった」ということに気がつく、具体的なできごとに出会うこと。

・そのことだけでなく、「じぶんには、気づいていないことがたくさんある」ということに気がつける(自覚する)こと。

・この前提で、「気づいていないことに気づける」ような、習慣をつけること。

「気づく」ということばほど、日常、頻繁に出てくることばはありません。
そもそも、「気づく」とは、いったい、何に「気がつく」ことなのでしょうか?
何かに気づくためには、どうしたらよいのでしょうか?

「気づく②くらべるものがないと気づけないへつづく

How can you be aware of what you were not aware of?(気づいていなかったことに気づくとは?)

出典・参照:『アンデルセン童話・はだかの王さま』、「英プラを詳しく知ろう・言語と音声のサイエンス」

「気づきの本質について」

「アンデルセン」