Look at yourself in the mirror.(鏡でじぶんを見てごらん)
のびた:ねぇドラえもん、鏡に映ると右と左が反対になるの?
ドラえもん:やってみたら?
の:ぼくの右手は、鏡の中のぼくの左手。なんで、さかさまになるの?
ド:昔から、この話題は尽きないんだよ。
の:ぼくの右側にあるのは変わっていないんだけどなぁ。
ド:そう、向き合っているんだよ。
の:むこうとこっちが入れ替わっている。
ド:鏡の中ののびちゃんのつもりになっているから。
の:鏡って、光の物理現象だって習ったよ。
ド:そう。でも、それだけじゃないよ。人間の認知現象。
の:認知現象?
ド:どんなふうに捉えるかってこと。視点が変わる。
の:視点が変わる?
ド:だいじょうぶ。見えるように見えるだけ。それはのびちゃんの脳の働き。
の:脳の働き?
ド:それに外の世界との相互作用。
の:相互作用?
ド:そもそも、鏡の前に立つから、映ってみえるんだよ。
の:それぐらいわかるよ。
ド:じゃあさ、いまバスルームの鏡に何が映っていると思う?
の:鏡の前においてあるもの。みんなの歯ブラシとか、石鹸とか。
ド:と、思うでしょ?
の:あたりまえじゃないか。
ド:でも、ちがうんだ。
の:え?何が映っているの?
ド:何も映っていないよ。
の:そんなはずないでしょ。いつも見てるから100%まちがってない!
ド:うん、のびちゃんが鏡の前に立った時だけ、のびちゃんの脳に映って、見える。
の:本当に、いま、鏡には何も映っていないの?
ド:何も映っていないよ。
の:でも、変だよ。鏡は光が反射するでしょ。物理的に。ぼくがいなくても。
ド:うん。でものびちゃんに見えるのは、そこで目からはいった光をのびちゃんの脳が認知するから。
の:じゃ、いま鏡の前では何が起きているの?
ド:もしハエが飛んでいたら、ハエにはちがうものが見えるんだろうね。
の:そうなの?
ド:鏡に映っているじぶんの姿も、ハエはちがうものを見ていると考えるもの、みんな想像の働き。
の:ふーん。鏡に何も映っていない、なんて想像できないなぁ。
ド:それぐらい、慣れているんだよ。毎日見てるから。
の:慣れているだけ?
ド:そう。思い出しているんだよ、いつもの体験を。
の:えーと、目の前で見ている時は、どうしてあべこべになるんだったっけ?
ド:相手の視点で見るから。想像することができるから、さかさまになる。
の:鏡の中のじぶんのこと?
ド:そうだよ。向こう側にいるつもりで考えるから、こっちの右がむこうの左。
の:ぼくのTシャツの文字もさかさまになるよね?
ド:その場合、左右あべこべの字をつけたTシャツを来た鏡の中ののびちゃんと向き合っているってこと。
の:ややこしいねぇ。
ド:そもそも、文字は人が読めるように書くわけだから、向き合っているようなもの。
の:それを鏡に映すから読めなくなるの?
ド:さかさまとか、反転とか言うのは、脳でどうやって捉えていてどれぐらい慣れているかってこと。
の:ところでさ、なんで右と左だけが入れ替わるの?上と下は反対にならないの?
ド:地面に鏡があったとするよ。その上に乗ったとすると?
の:鏡が割れちゃう。
ド:うーん、割れないとして、乗ってみると?
の:地面の中のほうに、ぼくがさかさまに立っている。
ド:縦軸に向かい合わせ。(注1)
の:そうか、鏡はいつも立てているから、左右の話だけするんだ。
ド:常識的にしていることや、習慣的にしていることには気づかないものなんだね。(注2)
エンパレットは、相手の身になってみることで見えるものが変わる、プラクティスとヒントのライブラリーです。
How about going the other way?(反対向きにやってごらんよ)
鏡にうつるじぶん (2) [そのじぶんを見るじぶんがうつる時]へ
出典・参照: 高野陽太郎 『鏡映反転』、以下のエンパレットなど
(注1)高野さんは、「鏡映反転はひとつの現象ではなく、3つの現象(視点反転・表象反転・光学反転)の集まり」(多重プロセス理論)を詳しく説明しています。そこには明示されていませんが、私たちは地球に立って暮らしているから(寝そべっているのではなく)、ということが、実はこの「鏡の習慣」の話の奥にあるのだと思われます。朝永振一郎博士も、そのようには言っていないようです。
(注2)エンパレット「感情は感覚の意味づくり」