To walk is to reflect.(歩くこと、ふりかえれる
『
実は私も、一度だけ、その人にあったことがある。
いまでも、45年前のその声が鮮明によみがえってくる。
人は他者の心の中に生きる。
たった一度でも、かまわない。
声が心を刻まれるから。
のうぜんかづら。
いま、花の名前と記憶が結ばれた。
・凌霄花
・ノウゼンカズラ
・Campsis Grandiflora
・Trumpet Vine
人は、メモリアルに花をそえる。
花そのものが、メモリアル。
ところで、「はな」ということばの意味は?
それは、出っ張ったところ、ものごとの先を表すことば。
・半島の先(たとえば、長崎鼻という地名)
・ものごとの先(出ばな、初っ端)(はなからあきらめないで、なんて言うではないか)
・顔の出っ張ったところ、鼻。
・はな=端=花=鼻
漢字で書いて、意味をわけることに慣れすぎている。
便利だが、母語として身につけたことばの起源を知らずに暮らしている。
もともと、似た光景や現象を捉えて、ことばが生まれたのだ。
共通のイメージを組み立て直すと、実感もわいてくる。
こんなことを考えるのは、歩いている時。
歩くと、ふりかえれる。
出典・参照:坂口和子『凌霄忌』、長谷川聡子『女人・石の仏 死ぬこともすばらしくありたい』
石川九楊『花の構造』、モーリス・メーテルリンク『花の知恵』、坂口立考『海の宮・エッセイ 細雨養花』