佐伯胖さんは、保育とは、従来の定義である「子どもをケアすること」ではなく、「子どもがケアする世界」をケアすることだと説きます。
「子どもをケアする」という「上から目線」に聞こえるような一方的な行為ではありません。
相互的なかかわり、共感的なかかわりです。相手に対して「共感しよう」という姿勢で関わることなのだ、と。
「共感とは、自分自身を空っぽにして、そっくりまるごと、相手の中にはいってしまうことです。相手が見ているモノ・コトを、相手の立場と視点から見て、相手のふるまいが、自分自身「そうしないではいられなくない」という思いで、思わず、自分もそのように「ふるまいそうになる」ことです。(実際に「そうふるまう」とは限らない)」
「このように説明すると、現場の保育者からは、「それなら、ふだんからやっている」とか、「子どもが砂場や滑り台で楽しく遊んでいるときに、同じように楽しくなって一緒に遊ぶことですね」などと言われます。もちろん、それに対しては「そうではない」とはっきり言うことはできませんが、「共感」の原点は、他者の苦しみを慮る(おもんばかる)ことです。たとえば、滑り台で遊んでいる一部の子どもたちに、楽しげに加わって「一緒に楽しんでいる」保育者を、離れたところでさびしげなまなざしで見ている子どもが「自分はかまってもらえない」ことの寂しさをかみしめていることに「
共感は、情感こみの知。
(その人が醸し出す、言葉に表せない、背後にある叫びに、注意深く関わり、感じ取れる力)
これは保育だけではなく、人間の学び、社会のあり方、あるゆる活動に関わる根源的なまなざし、姿勢です。
「じぶんをケアする世界」をケアする。
Caring with compassion.
「相手がケアする世界」をケアする。
ケアというと、世話をするという意味あいで使われることが多いのですが、ケアリング(caring)は、思いやり、共感の姿勢を示すことばです。
小さなことを大切にする、ケアする心を持つことは、実は、はかりしれない力になります。
日々の小さな心の手入れを習慣にするということは、その小さなルーティンをケアする心を育てることです。
もともと、備わっている、「やさしい心」を、すこし引き出すことなのです。
出典・参照:佐伯胖『「子どもがケアする世界」をケアする』、坂口立考「思いのタネをまく」エンパレット」