広中平祐さんは、こう言います。
「なぜ学ぶのか?それは、目には見えないが、生きていく上に非常に大切なもの、「知恵」を身につけるために。そのためにいちばん大切なことは、素朴な心「素心」を失わないこと。
私たち人間は日常生活の中でとかく自分の立場にたってものごとを考えがちなもの。自分の希望・願望・主張が原因となって、相手との間にトラブルが生じることが少なくない。このような時こそ、相手の立場にたってものを考えること。
相手と一体になって考える謙虚さが、素心。
素心は、日常生活の中だけでなく、学問していく中で、もっとも基本的な条件である。事実を事実として受け入れること、失敗することによって、身をもって修得するために。素心によって深く考えることができる。
数学の問題を解くにも、その問題という「相手」の立場になって考え、あげくのはては「問題」が「自分」か、「自分」が「問題」かわからないような、互いに融け合った状態になってはじめて、解決の糸口となる発想をつかんだり、法則を見つけたりすることができる。」
それは共感の心に他なりません。素心によって共感の力を引き出し、学ぶことができるのです。広中さんはさらに、学びについて、このように語ります。
自分という未知の存在を学ぶこと。
未知のじぶんとともに生きている!
「人の一生は、他人へサービスし、他人からサービスされるという原理で成り立っている。」
I’m humbled.
出典・参照:広中平祐『学問の発見』