エンパシームは、じかんの粒、タイムカプセル。
そのイメージの原初体験になったのが「矢じりとり」です。
5歳の春。小高い丘陵をのぼっていくと、雑木林があり、そこは矢じりの宝庫でした。
矢じりは、その辺に散らばっているものもあれば、地中に埋まっているものもあります。
土を手で集め、竹のふるいにかけると、その中から小さな石のかけらが出てきます。
私の指の先でつまむような、小さなやじりがたくさん見つかりました。
小さいけれど、先が鋭く尖った針のようでした。小さな動物を射止めるための矢じりだったのかもしれません。
いえ、きっとこの川の渓流でハヤやアユを採っていたのでしょう。
何年かして、浄水施設の建設が始まり、急遽、遺跡の発掘が行われました。
発掘作業は、あっという間におわり、「わたっぱ遺跡」と名づけられ、埋め直されました。縄文中期の集落だったそうです。
それ以来、矢じりとりはできなくなりました。
あれから50年たちました。
もう、とっくのむかしに、カゴもショベルも、兄の素敵なコレクション箱も、ありません。
でも、克明に思い浮かべることができます。
夢中のかけら。
キラリと光る黒い石は、時のかけらでした。
何千年か前にここで暮らしていた人の時のかけら。
じぶんが矢じりになっていた、夢中のかけら。
それらのかけらは、もうありません。
いえ、記憶のかけらになりました。
なんどもふりかえることで、じぶんの、時のかけらになっていたのです。
不思議な、時のかけら。
小さなものは、じかんのかけらです。それらは、じぶんのかけら。
You’re always carrying your time capsules with you.
実家の物置の奥にあった箱から、一枚の写真がでてきました。あの日の写真!
こんどは、祖母の記憶のかけらが、つながってでてきました。
出典・参照:坂口立考「やじりとりにでかける日の、古い写真」
時のカケラ(動画)