
The same seed grows differently. (同じタネでも、育ち方はちがう)
⚫︎ 「十把一絡げ」と「十人十色」
「十把一絡げ」ということばがあります。いくつものものを、ひとまとめにして扱うことです。
このことばには、一人ひとりの違いや事情を見ず、みな同じものとして扱ってしまう、という響きがあります。
私たちの社会は、ある意味では、この「ひとまとめ」にすることで動いています。
学校では、同じ学年に分け、同じ授業をし、同じ教材を使う。
会社では、同じ研修を行い、共通の制度や評価のしくみを使う。
商品やサービスも、多くの人に届けるために、標準化し、効率化する。
一人ひとりに、まったく別の対応を用意することはできません。ある程度ひとまとめにすることは、社会を動かすために必要なことです。
その一方で、「十人十色」ということばも使われます。
人は一人ひとり違う。
個性を伸ばそう。
主体的に学ぼう。
自分らしく生きよう。
自分を成長させよう。
こちらも、私たちは繰り返し聞いています。
外側のしくみは、ひとまとめにして動く。だから、十把一絡げで。
でも、一人ひとりは違うから、その人にあったやり方がよい。だから、十人十色で。
では、その間は、どうつながっているのでしょう。
同じレッスンを受けても、同じように学ぶわけではありません。同じ練習をしても、同じように身につくわけではありません。
だからといって、おなじものを学ぶのであれば、一人ひとりに別々のやり方を用意すればよい、とも思えません。
We all do it our own way. (みんな、じぶんのやり方でしている)

⚫︎ 歯磨きにも自分のやり方がある
じつは、もっと身近なところで、私たちはすでに「じぶんのやり方」で物事をしています。
毎日の歯みがきを思い浮かべてみてください。
歯みがきそのものは、だれもが同じことをしています。
歯ブラシを持ち、歯にあて、みがく。
上下に動かす。
全部の歯、歯茎、歯と歯のあいだ。
小さい時に、そう教わった人が多いはずです。
でも、実際にやっていることを、一つひとつ見ていくとどうでしょう。
どこからみがき始めますか。
右の奥歯からでしょうか。前歯からでしょうか。自由形ですね。
▶︎ 歯ブラシを水でぬらしてから歯みがき粉をつけますか。そのままつけますか。
▶︎ 鏡を見ながらみがきますか。何も見ずにみがきますか。
▶︎ デンタルフロス、糸ようじ、歯間ブラシは、先に使いますか。あとに使いますか。
▶︎ 何分かけますか。2分ぐらいでしょうか。5分でしょうか。
同じ「歯みがき」という行為の中に、これだけの選択が隠れています。
このほか、歯磨き粉の種類、歯ブラシの種類、いろいろあります。
その一つひとつを、じぶんで選んだ覚えのある人は、ほとんどいません。
「私は右奥から始めることにしよう」
「今日はこの順番でいこう」
そんなふうに、いちいち考えている人はいないはずです。いつのまにか、じぶんのやり方になっています。
毎日していることなのに、こうして聞かれて初めて、じぶんがどうやっているかに気づく。人は、じぶんのしていることを、案外よく見ていません。
これが、「じぶんのやり方」の正体です。教わったのは同じ手順でも、身についたのは、一人ひとり違う形です。だれかに指示されて選んだのではなく、日々くりかえすうちに、そうなっている。
順番がどうであれ、虫歯や歯周病にならなければ、それで問題はない。
だから、だれもそこに注意を払いません。気にしなくても、困らないからです。

How you practice matters.(どうプラクティスするかが大切)
⚫︎ プラクティスは、そうはいかない
歯みがきと同じように、何かを身につけようとする時にも、私たちは、じぶんのやり方でプラクティスしています。
姿勢も、順番も、間の取り方も、場所や時間も、いちいち意識して決めません。それでも、一人ひとりのやり方が生まれています。
同じことを、同じ時間、同じ回数だけやっているつもりでも、実際のやり方は同じではありません。
▷ 何から始めるか。
▷ いつ、どこでやるか。
▷ どんな気持ちで臨むか。
▷ どこに時間をかけるか。
▷ 何をどれだけくりかえすか。
▷ どこで立ち止まるか。
▷ どうふりかえるか。
▷ どのように終えるか。
▷ 終えた後、どうするか。
その一つひとつに、じぶんのやり方が現れます。そして、プラクティスでは、その違いが、身につき方にもつながっていきます。
でも、そのやり方は、じぶんでもよく見えていません。
私たちが目を向けるのは、できたか、できなかったか。どのくらい上達したか。結果のほうです。
その結果に至るまでに、じぶんがどんなふうにプラクティスしていたかは、なかなか見えません。
ここで、ひとつの例を見てみましょう。
⚫︎ プラクティスに映るじぶんの姿
英語耳°のプラクティスです。
英語耳°とは、耳から入ってくる英語の音を、その瞬間に認知し、記憶し、じぶんの声として再現する力です。英語の知識を増やすのではなく、聞く、まねる、声にする、思い出す、比べる。その練習ループをくりかえし、リアルタイムの音声認知・再現力を育てます。
その結果だけを見れば、どれだけ聞き取れるようになったか、どれだけお手本を再現できるようになったか、です。
でも、ここで見たいのは、その手前です。
その人は、どんなふうにプラクティスしていたのか。
▶︎ どんな場で始めたか。
▶︎ どのように聞いたか。
▶︎ 何をどれぐらい聞いたか。
▶︎ どこでどのように時間をかけたか。
▶︎ どのようにふりかえったか。
結果と、その結果に至る過程を、一枚にしてみます。

同じプラクティスをしていても、現れる形は一人ひとり違います。
結果が違うだけではありません。どのようにくりかえし、続け、ふりかえり、どんな場でプラクティスしたか。その過程も違います。
同じことをしているつもりでも、じぶんのやり方は、こんなふうに形に現れます。
まさに、十人十色のプラクティスです。
「どのくらいできたか」だけを見るのではなく、「どんなふうにやって、そうなったのか」を見る。
すると、このデータは、じぶんを評価するためだけのものではありません。
「なぜ、こうなったのだろう?」
じぶんに問いかけるための手がかりになります。
⚫︎ いきなり、気づけない|小さな予感のさざなみをへて
私はこれまでに、多くの人のプラクティスの現場に向き合ってきました。
Empathy🌀Interfaceを使い、英語耳°獲得のプロセスにTutorとしてよりそう中で、人が気づきにいたる現場に何度も出会いました。
その実際の場面を、ひとつ紹介します。

これは、この場でいきなり気づいた、という意味ではありません。
じぶんでやって、聞いて、比べる。そのくりかえしの中で、少しずつ「何か違う」という予感が生まれています。
そして、その予感が、自問になって現れます。
「こうかな?」
「ここなのかな?」
「もしかして、こういうこと?」
まだ、はっきりとはわかっていません。
自問も、突然出てくるものではありません。小さな予感がさざなみのようにつながって、ようやく「なんとなく、こうかな?」というところまでやってくる。
この瞬間に、外からよりそうことができます。
よりそいを受けて、また聞く。やってみる。比べる。
その先で、予感だったものが、「ああ、そうか」という本人の気づきに変わります。

⚫︎ 十人十色から、一人十色へ
十人いれば、十通りのプラクティスがあります。
でも、私たちは本当に、そう見ているでしょうか。
「ネイティブの英語をまねる」と言う時、そこには、どこか「ネイティブの英語」というひとまとまりの音があるような見方があります。
それを聞いて、英語らしく、なんとなく似せて言ってみる。
ここにも、「十把一絡げ」が入り込んでいます。
英語耳°のプラクティスでまねるのは、「ネイティブ一般」の音ではありません。
目の前にいるモデルとなる人物が、その場で実際に発した肉声です。
その人が、そのセリフを、どんな声で、どんなリズムで、どんなふうにつないで言ったのか。その肉声に、そっくり似せるようにまねます。
人が違えば、声は違います。同じ人でも、場面やセリフが違えば、音のつながりも、リズムも、声の調子も違います。
手本からして、十人十色です。
そして、まねる本人も同じです。
同じ肉声を聞いても、はじめには聞こえなかったものが、くりかえすうちに聞こえてくる。昨日まで気づかなかった違いを、今日は捉えることがある。
同じ一人の中にも、違いがあります。
一人十色です。
「英語とは、こういう音だ」
「じぶんには、こう聞こえる」
「じぶんは、こういう言い方をする」
そうやってひとまとめにしていると、その一回にある違いは見えません。
同じことをしていても、育ち方はちがう。そして、同じ一人の育ち方も、ずっと同じではありません。
だから、プラクティスでは、その一回のじぶんを見る。
じぶんでやる。じぶんの姿を見る。じぶんに問いかける。またやってみる。
そのくりかえしの中に、小さな予感のさざなみが生まれます。
外からよりそえるのは、その時です。本人の内側に生まれた自問を受けとめ、次の一回を支える。
人は、内側から育ちます。
そして、その内側に生まれる小さな動きに、人はよりそうことができます。
Grow from within. (内側から育つ)
(*注1) Empathy Interface®は、自助と支援をつなぐプラットフォームです。結果だけでなく、そこに至る過程や原因まで〈見える化〉します。プラクティスデータとEmpathetic AI KurageSan®が、支援する人を支えます。
人の内側で起きていることは、外から直接見ることはできません。でも、プラクティスをくりかえす中で生まれる小さな予感や自問は、ことばやふるまいとなって現れます。Empathy Interfaceは、その「気づきのさざなみ」を捉え、そこに人がよりそえる場をつくります。
十人十色。そして、一人十色。その人の、その時のコンテクストによりそうことで、本人の内側から生まれる気づきを支える。人が人を支える、フィードバックとコミュニケーションのプラットフォームです。

内側を育てる|Growth From Within シリーズ
⚫︎ 外から人は育たない|人は内側から育つ①
⚫︎ 教えたと身についたは同じではない|人は内側から育つ②
⚫︎ やって、うまくいかないから、はじめてわかる|人は内側から育つ③
⚫︎ できる人には、見えないものがある|人は内側から育つ④
⚫︎ ことばのタネをまき、育てる|人は内側から育つ⑤
⚫︎ 同じことをしていても、育ち方はちがう|人は内側から育つ⑥
⚫︎ たのしい、うれしい、おもしろい |人は内側から育つ⑦
作(文・挿絵・声に出すことば・声):坂口立考
出典・参照:以下のエンパレットノートなど
