Empathemian: Why does a comet’s tail curve?

Make the unseen visible.(見えないものを見ようとする)

夏目漱石の小説『三四郎』に、こういうシーンがあります。

「野々宮さん、光線の圧力の試験はもう済みましたか」
「いや、まだなかなかだ」
「ずいぶん手数がかかるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君のほうはもっと激しいようだ」
「絵はインスピレーションですぐかけるからいいが、物理の実験はそううまくはいかない」
「光線に圧力があるものか、あれば、どうして試験するか」

野々宮さんの答はこうです。「光の圧力」は、このように測定するというのです。

雲母か何かで、十六武蔵ぐらいの大きさの薄い円盤を作って、水晶の糸で釣るして、真空のうちに置いて、この円盤の面へアーク燈の光を直角にあてると、この円盤が光に圧されて動く。❶

こんなことを、だれが、どうやって思いついたのでしょうか?

「我々はそういう方面へかけると、全然無学なんですが、はじめはどうして気がついたものでしょうな」
「理論上はマクスウェル以来予想されていたのですが、それをレベデフという人がはじめて実験で証明したのです。近ごろあの彗星の尾が、太陽の方へ引きつけられべきはずであるのに、出るたびにいつでも反対の方角になびくのは光の圧力で吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思いついた人もあるくらいです。」❷

ここには、科学の歴史が凝縮されています。

さらに、野々宮さんは、こう続けます。

光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力のほうは半径の三乗に比例するんだから、物が小さくなればなるほど引力のほうが負けて、光線の圧力が強くなる。もし彗星の尾が非常に細かい小片パーチクルからできているとすれば、どうしても太陽とは反対の方へ吹き飛ばされるわけだ。❸

野々宮さんのモデルとされる物理学者の寺田寅彦の『夏目漱石先生の追憶 』という回想があります。 

「『虞美人草』を書いていたころ、自分の研究している実験室を見せろと言われたので、ある日学校へ案内して地下室の実験装置を見せ、詳しく説明した。そのころちょうど、飛んでいる弾丸の前後の気流をシュリーレン写真に撮る研究をしていた。

「これを小説の中に書いてもいいか」と言われたので、それは少し困りますと言うと、それなら他の実験の話をしろと言うので、たまたまそのころ読んでいたニコルスという学者の「光圧の測定」に関する実験の話をした。

それをたった一度聞いただけで、要点をすっかり飲み込んで書いたのが、『野分』の野々宮さんの実験室の場面である。聞いただけで、見たこともない実験がかなり現実味をもって描かれている。これも日本の文学者としては珍しいことだと思う。

これに限らず、先生は一般科学に対して深い興味を持ち、とくに科学の方法論的な話をするのを喜ばれた。文学を科学的に研究する方法といったような大きなテーマが、先生の頭の中で絶えず動いていたことは、先生の論文やノートからも想像できるだろう。」

Empathemian: 「Imagined Schlieren Scene: Natsume Soseki and Terada Torahiko, 1906」

Imagination is a time machine. (想像はタイムマシン)

では、漱石はどのようにして「聞いたことも見たこともない実験」を、これほどの現実味をもって描いたのでしょうか。

その手がかりは、寺田寅彦が読んでいたニコルスの論文にあります。Ernest Fox Nichols と Gordon Ferrie Hull による二つの論文です。

ひとつは『The pressure due to radiation』(光線の圧力)、もうひとつは『The application of radiation pressure to cometary theory』(光線の圧力の彗星理論への応用)。いずれも1903年に発表されています。

寺田寅彦の説明があったにせよ、漱石はその要点を正確に理解し、装置のしくみや論理のおもしろさをじぶんの中で咀嚼していたのでしょう。おそらく論文を借りて読み、じぶんの目で図を確かめ、納得した上で書いたはずです。そう考えられる理由を、順に見ていきます。

まず、❷ の前半「マックスウェルが予想していたが、レベデフが実験で示した」という下りについてです。

Nichols and Hull『Pressure due to radiation, 1903』

マックスウェルは、電磁気学を統一した19世紀の物理学者です。彼の時代には、光は主として電磁波として考えられており、のちのプランクやアインシュタインが示した光量子の考えはまだありませんでした。マックスウェルは、電磁波は、エネルギーを運び、物体に力を及ぼしうることから、光にも圧力があるはずだと理論的に予想していました。

つぎに、❷ の後半「彗星の尾はなぜ太陽と反対の方角になびくのか」という話です。

Nichols and Hull『Pressure due to radiation, 1903』

同じ論文の冒頭には、こうあります。ケプラーは早くも1619年に、彗星の尾に見られる細かな物質が太陽から外向きに押しやられるのは、光の圧力のためだと考えた。ニュートンは、この考えをもっともらしいものと見つつも、その現象は、地球の大気中で煙が上にのぼるのと似たものだろうとも考えた。」

つまり、この問題は、すでに長い科学史を背負っていたのです。

そして、❸のセリフです。

「光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力のほうは半径の三乗に比例する」

Nichols and Hull『Pressure due to radiation, 1903』


この考え方は、Nichols and Hull の彗星論文に対応しています。光の圧力は、粒子が光を受ける断面積に依存する。重力は、粒子の質量に依存する。したがって、同じ物質でできた球では、重力は半径の三乗に応じて増え、光の圧力は半径の二乗に応じて増える。だから粒子が小さくなるほど、光の圧力のほうが相対的に強く効いてくるのです。

ここでの着眼点は明快です。太陽の重力と太陽光の圧力とでは、どちらがより強く働くのか。彗星の尾をつくる粒子がごく細かなものであればあるほど、重力よりも光の圧力のほうが効いてきて、太陽とは反対の方向へ押しやられる。野々宮さんのセリフは、この論理を会話として言い換えたものと読めます。

では、その「光の圧力」そのものを、どうやって測るのか。

❶ のセリフに対応するのが、Nichols and Hull の実験装置です。

Nichols and Hull『Pressure due to radiation, 1903』Figure

① 薄いガラス円盤を使う
② 水晶の糸でつるす(水晶繊維のつくり方の説明あり)
③ 真空・低圧の容器内に置く
④ アーク灯の光を当てる
⑤ 円盤の面に直角に当てる
⑤ 光の圧力でわずかに動く

Nichols と Hull の装置と測定法には、苦心の末の工夫がありました。問題は、「光がほんとうに押しているのか」を見るためには、熱で温められて起こる気体の動きと、光そのものの押す力とを、きちんと分けなければならない、ということです。

水晶の糸でつるすのも、ねじり天秤にするのも、光の圧力という極小の力を、見える形に変えるための工夫でした。ごく微細な動きを捉えると同時に、目に見えない別の影響をなるべく取り除く必要があったのです。

野々宮さんの装置の説明は、論文の挿絵と記述を忠実に踏まえています。聞きかじっただけでは書けない、具体性があります。

光圧を測るには、重力の一万分の一ほどのごく微細な動きを捉える必要があります。同時に、目に見えない別の影響を取り除くための周到な配慮も要るのです。(*注2)

Imagination takes you anywhere.(想像はどこでもドア)

インスピレーションは、何もないところから突然湧くわけではありません。

小説の場面には、モデルとなる人物がいる。
元となる具体的なセリフがある。
それを反転させ、組み換え、物語の中で役割を与える。

描写も同じです。
何かに倣い、何かを写し、何かをじぶんの中で再構成する。

はじめ、漱石はシュリーレン写真の実験を書こうとした。けれども、それは都合が悪いということで、代わりに光圧の話になった。

けれども、両者には共通点があります。

どちらも、「目に見えないもの」を見えるようにする構想と実験であることです。

世界は、見えに見えないもので満ちています。

・小さすぎて見えない。
・遠すぎて見えない。
・速すぎて見えない。
・遮られていて見えない。
・そもそも、人間の目では見えない。

顕微鏡、望遠鏡、カメラ。自然科学の歴史は、目に見えないものを見ようとする人間の営みの歴史でもあります。

音、熱、電気、磁気、放射線。そのままでは見えないものを、自然に宿る特徴を引き出し、数、量、図、色、グラフへと変えて、映し出してきたのです。

では、人間の心はどうでしょうか?
見えないし、簡単には測れない。

『三四郎』のこの場面は、このあと、自然世界を見ようとする方法と、人間の世界を見ようとする方法とのあいだへ、話が進んでいきます。

ひらめきの源泉②漱石のサイエンス=アート=プラクティス へつづく(明日の配信)
ひらめきの源泉③漱石のサイエンス=アート=プラクティス (明後日の配信)

出典・参照:以下の論文・文献および、関連するエンパレットなど

Ernest Fox Nichols and Gordon Ferrie Hull: 『The pressure due to radiation』(光線の圧力)(1903)
Ernest Fox Nichols and Gordon Ferrie Hull: 『The application of radiation pressure to cometary theory』
(光線の圧力の彗星理論への応用)(1903)

夏目漱石『三四郎』(青空文庫)
寺田寅彦『夏目漱石先生の追憶』
中谷宇吉郎『光線の圧力の話

(*注1) シュリーレン写真とは、光の性質である「屈折」を利用し、陽炎や蜃気楼など、空間のゆらぎ現象を写す方法です。ろうそくに温められた空気を写す方法です。

シュリーレン写真

(*注2) ガラス球の中で光をあてると、くるくる回るおもちゃ(ライトミル)は、光線の圧力によるものではありません。これは、真空と言っても空気がわずかに残っているために起こる別の現象です。

ライトミル(ラジオメーター)