
Science and art are one in essence. (科学と芸術は本質においてひとつ)
ひらめきの源泉 ① 漱石のサイエンス=アート=プラクティス のつづき。
『三四郎』の「光線の圧力」をめぐる談義は、やがて「見る」とはどういうことか、そのものを話題にし始めます。
「だって、光線の圧力を試験するために、目だけあけて、自然を観察していたって、だめだからさ。自然の献立のうちに、光線の圧力という事実は印刷されていないようじゃないか。だから人工的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母マイカだのという装置をして、その圧力が物理学者の目に見えるように仕掛けるのだろう。だから自然派じゃないよ」
「いや浪漫派だ」と広田先生がもったいらしく弁解した。「光線と、光線を受けるものとを、普通の自然界においては見出せないような位置関係に置くところがまったく浪漫派じゃないか」
「しかし、いったんそういう位置関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察するだけだから、それからあとは自然派でしょう」と野々宮さんが言った。❶
❶ ここでは、実験という営みを2つの段階に分けて捉えています。
見えないものが見えるように場を組み立てる段階は「浪漫派」。
そこで生じた事実をそのまま観察する段階は「自然派」。
物理の実験を文学のことばで語るのは、単なる言い換えではありません。サイエンスとアートは、別々のものではなく、ともに人間の営み。表裏一体です。
「すると、物理学者は浪漫的自然派ですね。文学のほうでいうと、イブセンのようなものじゃないか」と筋向こうの博士が比較を持ち出した。
「さよう、イブセンの劇は野々宮君と同じくらいな装置があるが、その装置の下に働く人物は、光線のように自然の法則に従っているか疑わしい」これは縞の羽織の批評家の言葉であった。
「そうかもしれないが、こういうことは人間の研究上記憶しておくべき事だと思う。――すなわち、ある状況のもとに置かれた人間は、反対の方向に働きうる能力と権力とを有している。ということなんだが、――ところが妙な習慣で、人間も光線も同じように器械的の法則に従って活動すると思うものだから、時々とんだ間違いができる。おこらせようと思って装置をすると、笑ったり、笑わせようともくろんでかかると、おこったり、まるで反対だ。しかしどちらにしても人間に違いない」と広田先生がまた問題を大きくしてしまった。❷
❷ 話は、自然から人間へ移ります。
劇にもまた、人をある状況に置く「装置」がある。けれども、光線と違って、人間はその下で法則どおりには動かない。
同じ状況のもとでも、反対の方向に働きうる。そこに、自然を見ることと、人間を見ることとの違いがある。
「じゃ、ある状況のもとに、ある人間が、どんな所作をしてもしぜんだということになりますね」と向こうの小説家が質問した。
「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いても世界に一人くらいはいるようじゃないですか」と答えた。
「じっさい人間たる我々は、人間らしからざる行為動作を、どうしたって想像できるものじゃない。ただへたに書くから人間と思われないのじゃないですか」
「物理学者でも、ガリレオが寺院の釣りランプの一振動の時間が、振動の大小にかかわらず同じであることに気がついたり、ニュートンが林檎りんごが引力で落ちるのを発見したりするのは、はじめから自然派ですね」❸
❸ ここには、3つの型が並んでいます。
① 自然の中の現象に着眼する
② 見えないものを見えるようにする装置をつくる
③人間をある状況に置いて反応を見る
小説は、頭の中で考えて紙に書く、というだけではありません。こうして雑談をする。問いが出る。言い換えが起こる。話がずれる。その中で、ひとりでは見えなかったものが見えてきます。
書くとは、そういう場を起こし、その反応を写しとることでもあります。執筆そのものが、場を起こす実験になっているのです。
Insight grows through conversation.(雑談からひらめき)
ひらめくには、感受性を磨くプラクティスがいります。
いきなり、見えないものが見えるようにはなりません。
微妙なふるまいに注意を向けることから始まります。
無数の原因があることに思いを馳せること。
そこに、配慮する心がいります。
ひらめきに、科学的なひらめき、技術的なひらめき、文学的なひらめき、などという区別はありません。
見えないものに心をひらき、機微をとらえようとする人間の働きが、そこにあるだけです。
たずねて、描いて、 考える。(サイエンス=アート)
つくって、写して、深める。(テクノロジー=アート)
ふれあって、語って、書き表す。(アート=プラクティス)
「雑談」は、着想に必須のプロセスです。分野を問いません。「雑」という字のせいで、意味のないことのように扱われがちですが、それは誤解です。
雑草という名の花がないように、雑談という名の語らいもありません。色々な話題を、わけへだてない、気楽に話りあえること。そこで、問いが生まれ、ひらめきのタネがまかれます。
答えは、問いの中にしかないのですから。
ひらめきの源泉 ③ 漱石のサイエンス=アート=プラクティス へつづく(明日の配信)
出典・参照:以下の論文・文献および、関連するエンパレットなど
Ernest Fox Nichols and Gordon Ferrie Hull: 『The pressure due to radiation』(光線の圧力)(1903)
夏目漱石『三四郎』(青空文庫)
寺田寅彦『夏目漱石先生の追憶』
中谷宇吉郎『光線の圧力の話』
ひらめきの源泉 ① 漱石のサイエンス=アート=プラクティス
https://ja.empatheme.org/emp-0444/
