了海になった日のこと (思い出は声でよみがえる)
天神講で聞いた紙芝居『青の洞門』。了海は、ひとりでトンネルを掘り続けます。来る日も来る日も、休むことなく、危険な岩壁を、のみ一本で掘り進むのです。物語りにすっかり引き込まれ、じぶんも了海になっていました。いまでも、紙芝居を演じてくれた、五年生のお姉さんの声が聞こえてくるようです。そして、海の色が蘇ってくるようです。
Your voice remembers you.(声が覚えている)
天神講で聞いた紙芝居『青の洞門』。了海は、ひとりでトンネルを掘り続けます。来る日も来る日も、休むことなく、危険な岩壁を、のみ一本で掘り進むのです。物語りにすっかり引き込まれ、じぶんも了海になっていました。いまでも、紙芝居を演じてくれた、五年生のお姉さんの声が聞こえてくるようです。そして、海の色が蘇ってくるようです。
Your voice remembers you.(声が覚えている)
幼年・少年期(本当は生涯を通して)声に出して「ものがたり」を体験すると、後々、大きな力になります。読み歩み、読み語りあい、共に感じる時間。英語ではRead aloudと呼びます。声に出すことで「共に感じる」体験が共有され、見えない体験として、身心に刻まれるのです。それは、生涯の贈り物を一緒に手づくりでつくる体験です。
We are making our own stories.
言語の本質は、外界の事物を客観的に表現することではない。ことばのやりとりが、他に比類のない情報伝達手段であるのは、それ以外では達成不可能な参与者の共感をもたらすからである。他者の動作やしぐさを人間が共鳴するがごとく体感できること。共感がことばの原点であり、下地になった。相手が「私」より先にあったのです。
It is as hard to see one’s self as to look backwards without turning around.