Empathemian, Menlo Park, California

Your self-talk inspires your imagination.(じぶんに語りかけるから、想像が広がる)

夏至の夕暮れ。
食卓から窓越しに、白く光る三日月が見えた。

はっとして庭に出てみると、西の空高く、ちょうど隣家のセコイヤ高木の尖頭をかすめるようにして、膨らみかけた月がくっきりと浮かんでいる。
仰ぎ見るうちに、桃色がかったひと筋の雲が流れてきて、針先のような木の先端に差し掛かるかのように見えた。

あたりには静寂が戻り、空気もいくぶん涼しくなってきた。
微かな風にセコイヤの枝葉が揺れている。その高い柱の中にも平静の時間がやってきた。

暑い日中、30メートルはあるだろう、その樹内は上昇水流で満ちていた。
休養の合図とともに、水流はゆっくりと下へむかって降りてくる。
あんなに高いところまで、どうやって水をもちあげるのか不思議だという話をよく聞く。

下から押し上げるのではなく、上から引っ張られてのぼっていく、といったほうがよい。
てっぺんから呼び声がかかると、根から吸い上げた水の粒が集まり、連なって幹の導管内をのぼっていく。
気温が下がると、今度はゆっくり降りてくる。

It’s a dialogue with self.(それは、じぶんとの対話のようだ)

葉の蒸散作用、根の浸透圧、導管内の毛細管現象。
それぞれが継ぎ目なく連動するしくみだと言われると、何となくわかったような気にはなる。
が、いまひとつ、実感は湧かず、どこか心もとない。

水が自然に連なるのは、水の粒に粘着性があり、それが管内で凝集力を発揮して糸のように引っ張られるからだ。
目の前のセコイヤになり代わり、じぶんの体内で水粒の長い数珠が小さな音を立てて、牽引されている様子を思い浮かべてみる。

木にも自律神経がある。
じぶん自身との対話が起きているのだ。

知識や論理に実感を与えてくれるのは、じぶんに語りかける声の響き。

こどもの頃、よくお風呂のお湯をホースで吸い上げる「サイホンの原理」を実験した。
お湯が音を立てずにすうっとあがっていく。

生け花を教える母の脇で、実験の名のもとに「水切り」に勤しんだ。
水がのぼっていく様子をのぞくことはできないけれど、にぎるだけで血が吹き出そうな華道ハサミで花の茎を切り取るパチンという強烈な金属音が、吸い上げの合図音になった。

日々の観察なしに想像力を養うことはできない。
また、想像するための、たのしい工夫なしには観察が続かない。

水は糸だという実感。
観察と想像を両輪にした自転車にのって、はじめて目に見えない力による現象に近づける。

ことばの声 [月になった姉から]へ続く

出典・参照:坂口立考「海の宮」『ことばの声』、以下のエンパレットなど

実感の数こそ

Fun to imagine (1) 想像を生きている

ルーティンのサイエンスとアート ③ 想像するプラクティスのルーティン

サイエンスをじぶんに向ける