Empathemian 丹(朱鉱石)     

丹とは、辰砂、あるいは丹砂、朱砂と呼ばれる、朱色の鉱石のこと。
古来より、文明の興亡、人間の歴史·文化に特別な影響を与えてきた希少資源である。

硫化水銀(朱)と水銀(ミズカネ)。地球という私たちの住処にはごくわずかしかない特殊な鉱物が、人間のいのちの営みとも、想像の世界とも、縁の深い関わりを持ってきた。

そして何よりも、日本列島の古代から現代までの歴史形成においても重大な役割を担い、各地に刻印を残してき た鏡のような存在であると思う。

顔料としての朱は、旧石器時代の洞窟壁画にも、古代エジプト王家の遺宝にも、カリフォルニア先住インディアン· オローネ族の生活用品にも使われてきた。

日本の縄文後期の土器にも、古代の墳墓石室にも鮮やかな朱色が使われている。三国志·魏志東夷伝の描く 倭人の国·邪馬台国は、冒頭に「其山有丹」と明言される。

辰砂とは、中国の湖南省、隋の時代に辰とよばれた州の砂で、英語ではシナバル (cinnabar)と呼ばれる。

Empathemian 『Poison Oak at Lookout Trail, Santa Clara」

「朱」ということばが頭の中をぐるぐると駆け巡り、オークの深緑と毒ツタウルシの深紅の対照色彩に触発されて、私は以 前訪れたポンペイ遺跡のある壁画を思い出した。

「ディオニュソスの秘儀」に描かれた強烈な水銀朱の深紅が深緑の縁で際立っている。奈良の都の枕 詞「青丹よし」とは、色彩コントラストにハッと驚く表現だったのだろうという想像も湧く。

Wikipedia『The Villa of Mysteries, Pompei』

アルマデンという名称は、スペイン中南部の本家アルマデン水銀鉱山にちなんで命名されたもの。古代ローマ時代から2000年以上に渡って世界に水 銀を供給してきた世界最大の水銀鉱山である。

アルマデンとは鉱山という意味のアラブ語である。何世紀にも渡ってイベリア半島を支配したアラブ時 代はスペインにとりわけ多くの地名を残したが、人の移動、技術の伝播とともに、「アルマデン」もカリフォルニアに到来した。
できた町の名が新アルマデンである。

この地では、先住のオローネ族が縄文時代から、水銀朱を日常生活にも経済活動にも利用してきたのだが、19世紀半ば、メキシコ 領時代の最後に転機を迎えた。

メキシコの騎兵隊長が水銀朱鉱床を「発見」し、水銀生産の目的でメキシコ政府が資金を出した矢先に、米墨戦争が勃 発した。その結果、戦勝国にカリフォルニアが割譲された。しかも、時をほぼ同じくして金鉱が発見され、一気にゴールドラッシュとなって世界中か ら人が集まってきた。その勢いでカリフォルニアは合衆国の州に昇格した。

それが奇しくも、三度目のアルマデン探訪の今日、1850年9月9日である。ゴールドラッシュでカリフォルニアという国が誕生し、アルマデン水銀の役割は一層重要なものになった。金の採掘に水銀は必要不可欠だったからである。

水銀は常温では液体状の重金属で、その名の通り、液体の銀、あるいは銀の水である。ふだんは硫黄と化合し硫化水銀として地下に眠っている。それが辰砂·朱砂と呼ばれる水銀朱鉱床である。

Wikipedia「Mercury」

天然水銀は、目にも不思議なふるまいをする。英語ではクイックシルバー(quicksilver) とも呼ばれる が、水のように流れ、素早く動く。元素周期表で水銀(Hg) は80番、その隣が81番の金。

ちなみにHgという記号は、液体の銀を意味するギリシャ語 由来のラテン語ヒュドラルギュルム (Hydrargyrum)から来ている。ローマの女神からマーキュリー (Mercury) の名前が水銀にも水星にもあてられている が、両者には共通点が色々ありそうだ。

水銀は重くて速く、美しい。表面張力が強いので鉄の容器も濡らさない。その一方では、他の金属を溶かして 自ら合金となる。加熱されると液体から、沸点350℃で気体に変わり、冷やされると元の姿にもどる。


共感の精錬 (3) アルマデンの上を歩く へつづく

共感の精錬 目次ページ へもどる

(*注1)ディオニュソスの秘儀 

(*注2)水銀