記憶があるから、思い出すのではありません。思い出すから、記憶になるのです。
一枚の写真から「記憶を復刻する」エピソードです。
50数年ぶりに、物置の奥から「発掘された」写真を手に、カズコさんは、言います。
「あの時の感動がよみがえってくる!そこに私がいるみたい。焼き物に夢中だった。」
思い出すから、記憶。
記憶があるから、思い出すのではなく。
私たちは、漠然と脳のどこかに「記憶」がおさめられ、それが勝手に出てくる、というふうに思っていますよね。
でも、話は逆。思い出すことで、記憶になるのです。
脳は、パソコンの記憶装置とはちがいます。
脳細胞の中には、文字も写真も、何も書かれていません。
思い出すのは、脳がひとりでやっているわけでありません。
道具の手助けが、かならず、あります。
写真、日記、手帳、会話、思い出の品、場。
ふりかえり、声にして語ったり、文字にしたり、絵にしたり、人とわかちあうことで、記憶になります。
そして、思い出すたびに、あたらしい想像ができます。
その意味で、記憶は「つながり」です。
つながりによって、その都度、アウトプットされてくるもの。
「道具」といいましたが、「記憶」も「時間」もまた「概念」という道具です。
・記憶という概念があるから、記憶が蘇るように感じる。
・時間という概念があるから、時間の流れとして感じる。
「発掘品」には、原稿用紙に書かれたエッセイの下書き、裏面に書かれたメモがありました。
1967年11月11日。デンマーク・コペンハーゲンにて。
これらの記録に推理を加えて、カズコさんの記憶をいっしょに「復刻」してみます。
・清水焼を思わせる、ロイヤルコペンハーゲン。
・顔が日本人にそっくり?(昔の)
・正座している?(正座は日本特有の文化)
・編み物をしている?
・ズボンはモンペかな?
写真のクローズアップをよくみると、昔のカズコさんに見えてくるではないですか。
ロイヤルコペンハーゲンの陶器人形は、日本の女性をモチーフにしたものだったのかもしれません。
この推理をたどり、調べてみると、ある意外な結論にたどりつきました。それが、こちらです。
人形は、グリーンランドガール。イヌイットの少女だったのです。
記憶の復刻で、あたらしい出会いになりました。
We don’t remember days. We remember moments.
その日を思い出すのではなく、その場を思い出す。
出典・参照:坂口和子『裸足の訪問』、以下のエンパレットなど
Royal Copenhagen Porcelain Figure “Greenland, Denmark, 1955