柳田邦男さんは、こう言います。
「おでこを物にぶつけた時、怪我をして痛みを生じさせている部分のみに目を向けるのは、近代科学の視点。さらに怪我の程度を調べて、治療法を決めるのは、近代科学の方法である。その視点と方法に従う時、柱や棚や石という物の側は関心の対象外になる。可哀想と思ってもらえるのは、おでこの怪我をしたところだけなのだ。
物のほうを「治る、治る」とさするアイヌの行為は、怪我をした子どもと怪我が発生した場の全体を見ている。物のほうをさするというのは、子どもの関心を怪我にだけ集中させるよりは、状況全体に向けさせたほうが、怪我と痛みを受容しやすくなるというホリスティック・メディスン(伝統治療をも含む全人的医療)の立場に立っていると解することもできよう。」
ものに共感のまなざしをむける。
自分だけが痛いのではない。相手と半分半分である。物事の全体を捉える視点は、ものに対して共感のまなざしを抱くふるまいの中にあるのですね。「人間にだけ、共感すればよいのでは」と思うかもしれません。しかし、それは知らないうちに「分けへだて」を定着させ、物事を「自他対立的」にみる習慣づけにもなります。ものとのふれあいは、人間どおし以前の、とても大切な実践になります。心の土壌をつくるということです。身体の一部になって共にはたらいてくれる道具に、愛情をもってやさしく接することができないとしたら?人間どうしの共感の心以前に、何かを忘れているのです。
柳田さんは、こういう提案をしています。
「教室の机や柱、校庭の木や彫刻やオブジェなどからどれか一つを、子どもたち一人ひとりに選ばせて、自分の選んだ対象物の前に椅子を置いて座らせ、対象物に言葉を教える実践教育を行なう。」
ものに語りかけることで、共感の土壌を培う。
Interact.
出典・参照:柳田邦男『石に言葉を教える』