Be the one you interact with. Then you’ll feel it.(ふれあう相手の身になると、わかるよ)
森田真生さんは、こう言います。
「松のことは松に習えということわざがある。
松のことをほんとうに知りたかったら、自分がすっかり松になるくらい、全身で松のことを思いつづけないといけないのである。
あたまだけで、なにかをほんとうに知ることはできない。」
「あたまで「この人は悲しいんだな」と理解することが、悲しみを知ることではない。
相手といっしょになって、自分まで悲しくなったとき、はじめてその人の悲しみがわかる。
知るということ、わかるということは、自分ではない相手の心と、深く響きあうことなのだ。」
「数学をわかることも、これに似ている。
ただうまく計算したり、知識を増やしたりするだけじゃない。
数や図形の声に耳をかたむけ、心かよわせあうこと。」
「アリには人間の数学はわからない。
だが、それとおなじぐらい、人間にはアリの数学がわからない。
アリには折って数える指はないが、群れのなかの一匹ずつが、群れ全体の器用な指のように、世界のすみずみを探索している。
数百、数千ものアリがつくる巨大なからだに宿る数学は、人間のそれより、もっとずっと広くて自由なのかもしれない。」
アリになんかなれない?
アリの気持ちなんかわからないでしょ?
頭で考えようとすると、思わず、そんなセリフが出てきそうですね。
でも、これはどうでしょう?
人間の気持ちならわかりますか?
人の気持ちはわからないものだ、という体験、ありますよね?
では、じぶん自身の気持ちはどうでしょうか?
じぶんのことをを、わかっているのでしょうか?
じぶんもアリと、同じぐらいかもしれません。
相手の身になろうとしてみるかどうか。
気がつくかどうかは、それからです。
でも、確かなことが、ひとつあります。
なろうとしなければ、わからない。
なろうとするから、わかる可能性が生まれる。
Resonate.(共鳴)
出典・参照:森田真生・文、脇坂克二・絵『アリになった数学者』、以下のエンパレットなど