
お母さん、て呼んでくれるのがうれしい
94歳の誕生日を目前にして、母にたずねた。
「いちばんうれしいことばって、何?」
「お母さん、て呼んでもらえること。」
今は亡き、私の姉のことが目に浮かぶ。
そう語る母の視線は、私の隣の妻に向けられている。
母の著作『千手幻影』の一節に、こう書いている。
「私が二十歳で、三十七歳のそれも娘を一人抱えた男と結婚したいといい出した時、父は、本気なのかとひとこと聞いただけだった。祖母も母も前途の困難さをあれこれ述べたてて反対したが、無理もない話だった。
彼は帝大を卒業すると同時に応召して、北満や北支を転戦し、終戦で奉天から引き揚げてきた。娘を生んですぐ、産褥でその母親は亡くなり、彼は乳のみ児を背中にくくりつけ、混乱の大陸を転々としながら故国に辿りついた。
長い旅路で目撃した悲惨の数々、自らも引揚船の船底で、蝋燭の火でミルクを温めたことなど、それらの話は長い歳月が思い出の上に薄い膜を張ってくれるまでは、滅多に話題にはならなかった。
辛苦を重ね、人間の極限を見てきたであろう眼は澄んでいたが厳しかった。自分にも他人にも厳しかった。自己を律することの出来る人だった。そこに惹かれた。人間の自由を守るためにルールがあるのだ、ルールの中に本当の自由があるのだという信念を持つ男に、私は無意識に求めていた父親像を重ねていた。
世間のことに疎い小娘が、障害といってもよい問題をたくさん含んでいる結婚生活に踏み込んだ勇気は、若さの賜物でもあろうが、たぶんそれは厳しさのなかへの温かさへの憧れだったろう。そして私は束縛の多い生活を選んだ。」
二十歳の母と、八歳の姉。十二歳しか違わないふたりが、母と娘になった。苦労もあったことだろう。だが、ふたりは、たましいで結ばれた固い絆を築いた。

2009年、姉は突然この世を去った。
私を無条件に可愛がってくれた姉。
私は、深い喪失感に苛まれた。
母の無念はどれほど大きかったことだろう。
私の妻も、若い頃、突然の病気で母親を亡くした。私も若い頃、病気で父を失った。
私の母は、夫を失い、娘を失い、妹を失った。
母を失った妻が、私の母を「お母さん」と呼ぶ。母は、そのひとことがいちばんうれしいという。
1年半たった今日、病床の母に、今執筆中のこのエンパレットノートを見せ、制作中のエンパレットの音声を聞かせた。
母はうなずいた。
今は声は出ないが、口を動かしている。
「そうよ」と。
Every day is a gift.(毎日が感謝)
作(文・挿絵・声に出すことば・声):坂口立考
出典・参照:坂口和子『千手幻影』、エンパレット『たましいの夢・かずこ』、坂口立考『ことばの声』
(*注1) 冒頭の母のことばは、94歳の誕生日を目前にした、心臓発作で倒れる前の肉声です。その声に絵を添えてエンパレットにし、本日ホームページをリニューアル。

