Empathemian『かけがえのない肉声』

Voice brings time back.(声音はタイムマシン)

写真と蓄音機。どちらが先に発明されたでしょう?

写真は1826年ごろ。エジソンの蓄音機は1877年。そして映画は1895年です。

⚫︎ 写真 (Photograph):1826年(光を固定した)
⚫︎ 蓄音機 (Phonograph):1877年(音を記録・再生した)
⚫︎ 映画 (Cinema/Motion Picture):1895年(連続写真をスクリーンで映した)

こうして並べてみると、音だけ少し違うことに気づきます。

写真は、光をとらえて、その瞬間を残します。ところが音は、残すだけでは音になりません。刻まれたものを、もう一度振動させて、空気の波に戻す。「記録」と「再生」がそろって、はじめて声音がよみがえります。

蓄音機は、それを電気なしでやってのけます。

レコードの溝を針がたどる。その小さな振動が伝わり、大きくなって、再び空気を震わせる。100年以上前に記録された声音が、いま、目の前の空気の震えとして現れるのです。

これは、タイムマシンにほかなりません。

じぶんが100年前へ行っているのか。それとも、100年前の歌手が、いまここへやって来ているのか。

声を出した人は、もうそこにはいません。それでも、その人が残した音の跡を針がたどることで、いま、この場所に新しい空気の振動が生まれ、私たちの身体を震わせます。

人間の記憶も、少し似ています。

記憶は、昔の出来事が映像のように、そのまま保存されているものではありません。思い出すたびに、断片をつなぎ、その時の場所、人、気持ち、ことばを結び直していきます。

だから、「語る」ことには力があります。

「あの時ね」と声に出す。その声を誰かが聞く。「それはいつ?」「誰といたの?」とたずねる。すると、忘れていた風景が現れ、その時には意識していなかったことまで、出来事の周りのコンテクストとして結びついてきます。

再生するたびに、記憶は結び直される。

一枚の写真も、そこに声が加わると、止まっていた時間が動き出します。

エンパシームで声を残すのも、単に録音を保存するためではありません。その時のことばと、その周りにあるコンテクストを、あとからたどれるように残すためです。

過ぎた時間を、いまの呼吸と声で語る。その声を誰かが聞く。そこから、また新しい記憶が生まれる。

蓄音機は、刻まれた溝をたどって、過ぎた時間をいまの空気によみがえらせます。人間は、残された声やことば、写真、記憶の断片をたどって、過ぎた時間をいまに結び直します。

タイムマシンは、未来に発明されるものだけではありません。

声音は、過ぎた時間を、いまの身体によみがえらせます。そして、その声とコンテクストを残すことで、未来の誰かが、またそこから時間をたどることができます。

タイムマシンを生み出す力は、私たち自身が「語る」という営みの中にあるのです。

Leave your voice.(じぶんの肉声を残す).

(*注1) 東京・神保町のカフェ「あたらくしあ」では、1912年製のシレナ蓄音機の音を聴くことができます。蓄音機は、録音された溝の凹凸を針で振動に戻し、機械的に増幅して空気を震わせます。電気的な増幅を介さず、音を再び物理的な振動として立ち上げるところに、その不思議さがあります。人間の声もまた、呼吸、声帯、口や舌の動きによって空気を震わせる acoustic な現象です。

また、東京・四谷の民音音楽博物館でも、歴史的な蓄音機の音を実際に聴くことができます。

作(文・挿絵・声に出すことば・声):坂口立考
出典・参照:以下のエンパレットノートなど

寺田寅彦が愛用した蓄音機