Empathemian,

Presence is life.(情感は、いのち)

兄:こんにちは。

母:こんにちは。

兄:今日の調子はいくつですか?

母:(3本指を差し出して)さんです。

兄:じゃ、今日もいまから『千手幻影』を朗読するね。

母:(首を横にふる)

兄:ん?読まないの?

母:(首を横にふる)

兄:え、いやなの?なんで?

母:わたしがしんだら、、、(手振り)きいてられない。

兄:もう、聞いてられない?

母:(首を強く縦にふる)

兄:何で?

母:… 〇〇〇〇、、

兄:だってさ、お母さんの書いた大切な文章で、、

母:(頷いてから)でもきいてられない!

兄:聞いていられない?なんで?

母:じかんがない。

兄:時間がない?

母:(首を縦にふり)そう。

兄:んーでも、時間がないからこそ、、

母:じかんがないの。

兄:んー、でも本を読む時間はあるでしょ。

母:(首を横にふる)

兄:まだ、昨日の途中まで読んで、読みかけだから、、、

母:(渋々首を縦にふる)

兄:じゃ、どうする?

母:ここから〇〇〇〇(でかける)

兄:どうやって?

母:〇〇〇〇〇(くるまいす)で

兄:車椅子にのってどこへ行くの?

母:えきにいくの。

兄:駅?

母:(首を縦に)〇〇んて、、

兄:何て駅か知ってるの?

母:(きっぱり)知らない。

兄:駅に行ってどうするの?電車乗るの?

母:のらない。ひこうき。

兄:飛行機??飛行機の乗ってどこ行くの?

母:…〇〇、とうきょうでしょ(?)

兄:飛行機乗って東京に行きたいの?

母:行きたいじゃないの!

兄:ん、じゃ何?

母:〇〇〇〇〇〇〇〇〇(こっちにいられない)

兄:東京のどこへ行くの?

母:あなたたちがいるところ。

兄:駅に行っても飛行機乗れないよ。

母:そうよ。〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇!

兄:いまここを出て駅にいくわけ?

母:(首を強く縦にふる)

兄:でも、お母さん、歩けないでしょ。

母:(首を縦に)

兄:歩けないと電車も飛行機も乗れないよ。

母:(落胆した表情。天井を見て)はい。

兄:残念ながら。。

母:(ちょっと考えてから)〇〇〇〇〇〇聞いてるの〇〇〇、、、いそいで。

兄:急いで行きたいの?

母:行きたいんじゃないわよ!(なんでわからないの?という表情)

兄:じゃ、何なの?

母:〇〇〇〇、、

兄:さっき、本読むと言った時、時間がないって言ったでしょ。

母:そう。そんなにじかんがない。

兄:うん、そんなにはないけど、少しはあるでしょ?

母:… すこしもないの。

兄:少しもないの?じゃ、どうするの?

母:どうするの??(聞き返す)

兄:いま、この時間はあるでしょ?

母:(考えて、首を少し縦に)

兄:だから、その時間で本を読みたいと。

母:〇〇〇のじかんがない。

兄:昨日も言ったよね、時間がないって。何の時間がないの?

母:〇〇〇〇〇(それをしる)

兄:ん?

母:それを知るじかんがない。

兄:眠くないの?

母:ねむくない。ずっと起きてたの。

兄:なんか、またずいぶん元気になってね。

母:(首を縦に)。

兄:リハビリで片足で立ち上がった、って聞いたよ。

母:〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇、、、

兄:え?もう1回言って?

母:〇〇〇〇〇におわるの。

兄:しぜんに?

母:〇⚪︎〇〇んに、おわるの。

兄:んー。。

母:さいごの。

兄:最後の?

母:(少し間をおいて)〇〇〇〇、ひとりひゃくまんえん。

兄:ひとりひゃくまんえん?何それ?

母:りょひ。

兄:りょひ?で、どこへ行くの?

母:〇〇〇〇〇にあうの。

兄:ん?

母:〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇(とうきょう)

兄:…ごめん、ちょっとわからないなぁ。

母:(上を見上げて、静かなため息)

構音障害だから、話せないのではない。
こちらが、聞き取れていないだけ。

よどみなく、くりだされる母音と、無風の子音。

辻褄があわない、のではない。
やりとりに、矛盾もない。
こちらが、聞き取ろうとしていないだけ。

じぶんの頭、こちらの都合でわかろうとするから、わからない。
じぶんにわかるような意味だけを聞こうとするから、聞こえない。

届いていないのは、こちらの耳の方。

切迫感に満ちた情感。

聞いていられない。時間がない。
急いでいる。そう、言っている。

時間がない。
なぜか、わからない。

それを知る時間がない。
そう、言っている。

差し迫っている。それを語っている。

ことばにならない思い。
意味が伝わってしまうと、心が伝わらない時がある。

声にする時、わきあがる情感。
内側の世界が、外側に溢れて出ている。

いや、内側も、外側も、ない。

数分の会話に満ちた情感。
毎日、家族で分かちあう、面会記。

短い動画を、何度もくりかえして聞く。
あとから、ふりかえることで湧き上がる世界。

その会話そのものが、永遠の時間のよう感じられる。

作(文・挿絵・声に出すことば):坂口立考
出典・参照:坂口和子『千手幻影』、佐伯胖『「子どもがケアする世界をケアする』、「家族の面会記・2026年7月10日」

(*注1)「End-of-life vision」と名づけられ、研究の対象にもなっている終末期のやりとり事例としても知られる。「移行のプロセス」を何らかの象徴で表現とされ、「時間がない」「駅に行く」といったセリフが共通している。おなじケースに見えますが、心の世界は十人十色。共通するコンテクストは、寿命。生の中に死がある、ということ。死んで終わり、ではなく、生きている中に、終わりの時がある、こと。

(*注2)佐伯胖さんは、こう言います。「感情と情感は、ちがう。感情とは、心の働きとしての情動が直接、表情や声やことばに「表出」しており、本人はそのことをある程度はっきり自覚し、時には大袈裟に表したり、包み隠したりするもの。情感とは?その人全体が醸し出している、ことばに出せない、背後にある「訴え」の叫び。」筆者は、感情(emotion) に対して、情感を英語で表現するとpresenceがいちばん合うと思います。相手がケアする世界をケアする。相手の存在があり、共感的なやりとりに、立ち上がる心の世界。