The story itself has its own reality.(ストーリーを語ること自体に真実がある)
どんな夢を見ましたか?
夢?
(A) 夢にはあまり意味がない。あまり覚えていないし。
(B) 夢には何かの意味があるはず。でもよくわからない。
AとB、あなたはどちらでしょうか?
いずれにせよ、ひとつ確実に言えることがあります。
それは、思い出したから「夢を見た」ということです。
ふだん、「夢を見る」と言いますね。
ところが実際は、目が覚めて「夢を見た」という感覚によって、夢は存在します。
その話を進める前に、ひとつ、紹介しましょう。
アルゼンチン出身の作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスが、ある対談でこんな話をしています。(*注1)
「よくこんなことを聞かれます。あの小説はおもしろかったが、何を言い表したいのか?と。」
「意味?何を言いたい、なんてありませんよ。物語そのものが意味です。物語は何かを言い表すための半分の真実だと思われているようですが、物語自体が真実なんです。そう答えるのですが、なかなか聞き入れてもらえません。」
「小説家は何かを意味する目的で書いているはずだ、と思っているのでしょうね。物語を書くのは、何か別のことを証明するためではなく、書く喜びがあるからです。」
エンパレット『想像の空間を生きている [ふだんすっかり忘れている]』でも、デイビッド・リンチさんがおなじような話をしていることを紹介しました。
私たちは、気づかぬうちに、思いちがいをしているのです。
・「何かの目的が先にあり、そのためにつくる」
・「何かひとつ、正解があるはず」
ところが、いつもそうだとは限りません。
いいえ、たいていの場合、物事は、いつも初めから「何のために?」といった目的があるわけではありません。
何かを行動したり、創造したりすることで、あとから目的や理由がでてくるものです。
やってみて、つくってみて、いろいろなことに気づくことでだんだんできている。
でも、常識的な考えに慣れているため、逆に考えてしまうのです。
実は、ボルヘスの言っていることを、私たちはふだん、体験しています。
その典型が、夢です。
今日みた夢にはどんな意味がありますか?
どんな内容の夢にせよ、どれほどおぼろげな感覚にせよ、夢を見た、ということ自体に意味があります。
出典・参照:Jorge Luis Borges 『The Last Interview』、以下のエンパレットなど
(*注1)ホルヘ・ルイス・ボルヘス