Empathemian スパニッシュタウン跡から見下ろす   

三度目は、南の入り口から。アルマデンの西側から南側の谷の道路を通ってきたので、全体像がだいぶわかってきた。

冒頭に書いたオークの小森を 抜けると、車の往来ができるほどの太い道に出た。向こうの方に目指す先、スパニッシュタウンの山頂周辺と鉱山の遺構が見える。

近づいてみると、 それは炉の跡であった。創業開始から70年ほどたち、世界大戦の需要で新たな技術導入による新型の精製炉ができた。

曲がりくねったつづら折りの パイプが冷却器であろうことは一目で想像がつく。山の斜面を利用した大掛かりな装置。道の脇の四角い建物が、蒸気から還元精製された水銀の滴り 落ちる貯蔵庫であるに違いない。

山の斜面に水銀精製装置

ここから道伝いにのぼっていった所がスパニッシュタウンである。標高500メートルぐらいの小高い山の頂上周辺に 鉱夫の町があった。いまは跡形もない。

威勢よく伸びたサボテンの傍から南東を見下ろすと、わら色の大地の向こうの谷間にエメラルドに光る小さな 湖が見える。貯水湖なので人は近寄れない。

それにしても、廃鉱の跡がなければ、まさかこの山の地面の下に、90キロにもおよぶ人工のトンネルが 掘られていたことなど思いもよらない。地面の上に表れているものが手掛かりになり、その場で思いを巡らせる時に臨場感が生まれてくる。

百年前も 今も、この地球にある空気分子は変わっていない。時間は地面とそよ風で繋がっているの

そびえ立つサボテンの木

山を降りてからの帰路、再びアルマデンの博物館に立ち寄った。水銀事業で栄えた町の統括者の邸宅(カサグランデ)が博物館になっている。小じ んまりしているが135年の歴史と、この場所の特徴がよくまとめられている。

入ってすぐの所にメキシコの守護神として有名な「グアダルーペの女 神」の掛け軸があったが、それを眺めながら、丹生都比売を祀る丹生神社が日本中に広がっていることに重ね合わせた。過酷で危険な重労働でも女神 が守ってくれる。神は、生活の中にいる。
アルマデンに関わる新聞記事の大スクラップブックは、長期に渡る鉱山の写真記録でもあり、人々の表情が 興味深い。
また、鉱床の分布などの地質情報は、十時間分の探訪過程を振り返る手助けになる。鉱脈の上、それもいちばん潤沢な鉱床の真上に人が住 み、ふもとにも町ができるのだということが実感できる。

オローネ族が使っていた水銀朱の顔料は陳列ケースの中だが、採掘された真紅の鉱石は手に 触れることができる。両手で抱えると、見かけから想像する以上の、ずしりとした重力が加わった。

鋳鉄の水銀容器(フラスク)

精製された水銀は、フラスクと呼ばれる鋳鉄の瓶に詰められた。大きめの一升瓶のような容器は4キロ半あり、その中に35キロの水銀が入る。日常生活にはない重さだ。これが当時45ドルし たというが、現在価値に直してみると1本15万円ぐらいになるだろうか。

いちばん目を惹くものは、初期の水銀精製に使われた大きな鋳鉄の釜である。
地面に穴を掘り、鉄の甕に水を張って置く。そこへパイプで蒸気を導 いて冷却還元された水銀が貯まるように仕掛けをつくる。
その頭上に水銀鉱石をのせる鉄製のグリルを置き、全体を鋳鉄の釜ですっぽりと覆う。そし て周囲に薪を積み上げて燃やす。

明時代の『天工開物』にも蒸気水冷による抽出方式が説明されている。中国での水銀精製は三世紀にはあったらしいので、私は大和王権の黎明期に水銀生産があったという説を支持したい。そしてそれは、きっとこのような方式だったのではないかと想像する。(* 注1)。

鋳鉄釜による水銀抽出

今こうして、目には見えない不思議な力を宿す資源を採り出し、抽出する精錬作業の現場を歩き、自分自身の想像とつなげてみること で、山ひだの各所に残された地の魂に少し触れた思いがする。

その思いが新しい想像の源泉になる。カサグランデから鉱山の東側の際に沿って北へ伸 びる当時の目抜き通りを通って家路につくことにした。

家の前にポーチがある西部劇でみるような古風で小さな家並みが、歴史文化遺産地域の一部と して今もそのまま保存され、住人がこぎれいに維持しながら住んでいる。

すると突然、どこからともなく一頭の子鹿が道路に飛び出してきて、ひと呼吸の間、目が合った。
「丹生のみち」の想像を採り出して精錬したい。その気持ちがどっと込み上げてきた。

鹿と目をあわせる

共感の精錬 (5) 丹生のみちへのタイムカプセル へつづく

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(*注1)共感の精錬 (12) 付記 ① 水銀・人間の心・エンパグラフで補足します。