スマホも修養の友になれる
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ネット社会はその恩恵だけなく、気づかぬうちに、何でも操作して「正しい答え」が入手できるかのような錯覚を持ってしまうほどの、大きな影響をもたらしています。また、多くのサービスが対価を直接支払うのではなく、ただで利用し、どこか別の所で、たとえば広告収入などでそのコストがまかなわれています。そのため、私たちの日常では一見、 ただで情報が手に入るような錯覚も生まれます。
 
そのような世界に暮らしながらも、じぶんをふりかえり、身近に関わる人たちとふれあうことの大切さは変わりません。最も肝心なことは、テクノロジーに依存しすぎるのでもなく、また、敬遠するのでもなく、日常生活の中で、じぶん自身をふりかえり、 他者と共感しあえる力を育むこと、その力を社会に活かすことです。

Empathemian「共感のつぶみたい」

 

じぶんに関わる小さな情報は、じぶん自身をふりかえり、気づきを得ることに活かされて欲しい。そのねがいを実現する具体的な方法が望まれていま す。またそれは、営利商売の一環としてよりも、だれもが参加できて、わかちあうことによって社会に役立てられることが理想です。

 

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操作して「正しい答え」が入手できるかのような錯覚」とは?

    • ネット社会、日々いやおうもなく、過剰に情報をとりこんで生活している
    • 物事になんでもひとつ、正しい答えがあるわけではない
    • たとえば、じぶんのすべきことや、ねがいを「ネットで探す」わけにはいかない
    • にもかかわらず、ついネットを検索し、つい情報をうのみにしてしまう
    • スマホやアプリがほんのちょっとでも動かないとイラついてしまう
    • じぶんで考え、じぶんで行動することがなかなかできない
 

依存しすぎるのでもなく、また、敬遠するのでもなく」とは?

    • 道具を上手につかうことによって、よりよく考えられる
    • テクノロジーは人間がつくりだしたもの。紙やペン、ことばも人間が生み出した道具
    • 修養は、当面の目的や短期的な結果を追求するのではなく、みずからを高めるゆるやかな方向性
    • それは「技術ではなく精神であり、長期的な効果や、習熟度は測れない」と考えられている
    • しかし、ふりかえり、自覚できることが修養にももっとも大切。ただがんばるのではない
    • 発想を変え、「測るために測る」のではない方法で、しぜんにあらわれる自らの姿勢を映し出すことはできる
    • 道具をじぶんの相手として大切に使う、現代の道具と共に修養することで、じぶんと人を助けること
    • 現代生活の中でこそできる、修養を編み出す。しくみ、メソッド、環境をつくることで新しい道がひらける

 

エンパシームをなぞるだけで

 

他者と共感しあえる力を育む」とは?

    • だれも、じぶんひとりで生きているのではない
    • また、だれも、人のかわりに生きることはできない
    • もちろん AI も、じぶんの代わりに生きてはくれない
    • だれもがみな、ひとりひとりの存在として、身体をつかって生きている
    • その点において、だれもがみなおなじ存在、つながりあえる存在

 

 

じぶんに関わる小さな情報」とは?

    • 息づかいや、声の調子、間をいれるゆとりといった、じぶんのふるまい
    • 静かにひとりすわり、心を落ち着かせる、といった、身のまわりの様子
    • じぶんの姿勢や身のまわりの様子といった「ささやかな情報」は、従来、情報として捉えられず、切り捨てられてきた
    • 小さな身体所作は、じぶんをふりかえり、たしかめる貴重な情報
    • エンパシームは、姿勢の鏡になり、修養の毎日をそっと映し出す

 

Empathemian『Clear, Calm, Continuous, Constant』