Empathemian『むくげ』

「庭の木槿(むくげ)の花がつぎつぎに咲く。百日紅と同じくらい花期の長い花だから、夏から秋にかけて、そのすがすがしさをどれほど愉しませてもらうことだろう。明け方の庭に、木槿のあたりがしらじらとほの明るくなっていて、この花にあさがおという別名があったことを思い起こす。

木槿の花の種類はたくさんあって、どれも美しいと思うが、私は白一色のものがいちばん好きだ。毎朝一輪、枝から切り取って、気に入っている萩の鶴首にすとんと挿す。釉薬がほのぼのとした赤みをおびる素朴な萩焼に、葉の形も色もよい真白い木槿一輪は、見飽きない取り合わせだ。直径五、六センチの五弁の花びらは、薄くてやわらかく、触れればたちまち傷つきそうなのに、開ききった花弁の端まで生気が漲っていて、全身で夏と拮抗している凛とした緊張ぶりが夏の朝にはよく似合っている。

このところ私がじっと見入っていたのは、この花の終焉の姿だった。散るということをしない花の性質に、私はひどく惹かれていた。花は枯れる。そして花びらは散る。単純にそう思い込んでいるフシが私もあった。木槿はそうではなかった。花びらは、きちんとたたまれるのだ。蕾のときと同じような形に。これから咲くのか、すでに終わったのか、その形は一瞥しただけではわからないほどきれいである。

昔、母が縁側に正座して、とりこんだ洗濯物を膝の上にひろげ、ゆっくりとシワをのばしながらていねいにたたんでいる姿が思い出された。母の前にはいつのまにか長方形の重なりが積み上がり、それで母の正座は終わる。

家をたたむ、店をたたむ、という言い方を私たちはするけれど、人生をたたむ、いのちをたたむ、という言い方はあっていいのだろう。きちんとたたまれる木槿の花の終焉のように、果たしてできるものかどうか。そうありたいと願っているのだけれどー。」

Savor time.(じかんをあじわう)

身近かの植物に近づいて、五感でふれあうことは、心豊かになれるいちばんシンプルな方法のひとつです。その時の味わいを、そっと心に刻んで置きたいものですね。エンパシームは、静音のひと時をひらき、それをエンパグラフにたたんでしまいます。そして、その時のじぶんの声ことばをふりかえることで、味わう心ができてきます。

エンパシームは、小さく、ていねいに、たたんだじかんを生かすことのできる友。


出典・参照:坂口和子『食卓の廃墟』「たたむ」