ある日、電話をとると東北なまりの強い男性からの声。
「わたしは戦争で耳がきこえなくなりました。耳によく効くお地蔵さまがおられたら教えてください。」
「耳のお地蔵さんですか?…」
「片方の耳がほんの少しきこえるので、何とかお話できるのです。もうダメだと諦めているのですけど。もしやと思って先生におたずねします…」
市井の石仏愛好家に何ができるというのだろう。相手が満足できる答えなどない。
お医者さんにも見放された人が頼ろうとするのは、路傍に立っておいでのお地蔵さまなのか。それならば、こころを決めよう。
「私の住んでいるところには耳専門のお地蔵さんはいないのですが、でもどこかにいらっしゃるはずだから探してみましょう。お宅の近くにお地蔵さんはいませんか?
きっと小さなお堂か雨ざらしになっている石のお地蔵さんがおいでになると思うので、毎日お詣りにいらしてくださいな。一生懸命お願いすれば、きっと願いを叶えてくださいますよ。」
電話を切ってから、私がこんなことをいってしまっていいのかなぁ、もしダメだったらどうしようと、胸が重かった。忘れた頃に一枚のはがきが届いた。秋田県の未知の村から電話の主が送ってくれたものだった。
「あれから近所のお地蔵さんに願かけしましたら、きこえるほうの耳がそのままでいるのです。やっぱりお地蔵さまのお陰です。家内といっしょによろこんでいます。わたしの話をしたら、村の人までお詣りするようになって、最近は屋根をとりつけました。」
なんて素朴なうれしい便りだろう。後ろめたさが軽くなった気がする。
おろかな習性で私たちはすぐに、像容が何であるか、造立年月日、銘文、大きさ、彫りの良しあしなどを云々するほうが先に立つ。
この方たちのように歴史的なことなど意に介することなく、ただひたすら手をあわせて祈る人たちにこそ、お地蔵さんは救いの手をさしのべてくださるような気がする。
見えているものの中に、まだ見えていない姿がある。
聞こえている響きの中に、まだ聞こえていない声がある。
お地蔵さまは、じぶんの鏡。
That’s what you see.
出典:坂口和子 『お地蔵さまとわたし』17人が語る珠玉の随想集