Act.(ふるまう)
道元禅師『
料理の心得をこのように説きます。
食材の管理は、自分の瞳のように大事にしよう。
米を洗い菜を調える時、真心をこめ細心の注意を。
食材の量や質を気にせず、親切丁寧に調理しよう。
ご飯を炊くには、お釜が自己となる。
米をとぐときは、水そのものが自己となる。
食材と道具は自己そのもの。分け隔てないこと。
食事を作ることはありがたきこと、喜びの心を。
食べ物は、親が子供を思いいたわるような心で。
食材がじぶん、じぶんが食材である。
食材を料理するのではない。
宇宙と一体のじぶんを料理するのである。
そのような気持ちになりきって、はたらくということです。
「なになにの心得」とか、「なんとかの心がけ」といったことばがあります。
実は、「心」に得るとか、「心」にかけるとは、頭の中ではできません。
身をもって、心をこめる「ふるまい」が必要なのです。
料理でも、どんな物事でも、共感の心をひらいて接すること。
そのためには、相手となる物事に、じぶんを投入することなのです。
いま向きあっている物事にしっかり、ていねいにふるまうこと。
そして、そのことを声ことばで繰り返して、じぶん自身に自覚を促すことです。それが、作法です。
Act. You’ll realize something.(ふるまえば、何かがなされる)
出典・参照::道元 / 藤井宗哲『典座教訓』、以下のエンパレットなど