Empathemian, “I am life.”

じぶんのふるまいだけが、唯一のもちもの。

ブッダのことばです。

My true belongings are my actions.

私の記憶、私の想像。私の記録。
私の家族、私の友人、私の会社。
私の成果、私の人生、私の幸福。

みんな私の持ち物なの?

他に呼びようがないから?

生きてゆく、このいまのふるまいだけが、じぶんによるもの。
ほかには、何ひとつ、ない。

英語で、こんなふうに言ってみます。

i am life.(じぶんはいのち)

My life is なんとか。I live なんとか。

そんなふうに言わないで、直接、i = life と結びます。
そうすると、新鮮な風が吹き込んできます。

人生は、持ち物ではありません。
ましてや、自分だけの持ち物でもないのです。

ところで、i am life、なぜ小文字の i にするの?
I は大文字で書くって決まりがあるのですが。

それは、自分を大きく見せないで、小さくするためです。
そのための、しるし。

i am life, too. (じぶんも、いのち)

「唯一の持ちものは、じぶんのふるまいである」ということばも、「じぶんだけの」持ちものだと言う意味ではありません。
声を出し、手を動かす「ふるまい」も周りの空気や相手があるからできることですから。

じぶんはいのち、ではなく、じぶんも、いのち。

出典・参照:以下のエンパレットなど

「Life happens」

「じぶんを生きている」

「いのちのつぶを注ぐ」

「ブッダ」