Empathemian, Stevens Creek Trail

「行住坐臥」(ぎょう・じゅう・ざ・が)ということばがあります。これらは、人間の身体の基本姿勢です。そのなかで、坐は、ひとり静かに坐ること。坐るというと、坐禅を思い浮かべるでしょうか。

古来より、ブッダにおける禅定、古代インド諸宗教の瞑想坐、ひとり静かに坐ることが人間の精神にとって根本的であるということを示しています。

『荘子』にも「坐忘」ということばがでてきます。 「端座して一切を忘れ去り、道と一体になった境地」という意味です。

大和和尚との対話から。
り:何のために坐るのでしょうか?
大:「何のために」はありません。
り:ただ静かに坐り、何もしない。
大:そうです。
り:坐禅ですか。
大:坐禅に限らず、でしょう。
り:坐るとは、「ゼロ地点」のじぶんが居る所かな。
大:坐る=(イコール)何もしない、です。
り:坐って、忘れるということですか?
大:坐って、何もしない。忘れている状態。
り:そのシンプルなことが、むずかしそうですね。
大:脳が働きすぎになっています。休めることです。
り:ニュートラルにない状態。偏っている状態。
大:そうですね、ギアがはいったまま。
り:それを戻す。
大:戻す、というより、戻るようにしむける。
り:静かに坐る。すると、じぶんを忘れる?
大:じぶんの力ではありません。
  じぶんで何かしようと思わないことです。
り:何もしないことを、坐る行為に結びつけているのですね。
大:まず、静かに坐る。それだけです。

『ゐ』:静かに坐る。何もしない間をつくる。

エンパシームは、自然の流れで間をつくるメソッドです。ひとつ、間をつくれれば、続きます。

出典:『荘子』大宗師篇、『毎プラガイド』、「英プラガイド」