The way up and the way down are one and the same.(のぼり坂とくだり坂、どちらもおなじ道)
秋の味覚、落花生。
ピーナッツじゃなくて、落花生。
殻ごとの、獲れたて、生の落花生。
茹でて食べると味わい深いです。
落花生は不思議な植物です。
地中にカプセルをつくって実を結ぶ花。
なぜだろう?
落花生農家のおじさんは、こう言います。
「なぜって言われてもねぇ。
カプセルができるから、実ができるんだ。
カプセルができないと実にはならない。
あ、もしかして、あれかい?
なんでわざわざカプセルを地面につくるのかっていいたいの?
空中にぶらさがったカプセルができて、
そこに実ができればいいんじゃないかってね。」
「そうじゃないんだなぁ。
カプセルができることと実ができることは同じこと。
土の中だからね、カプセル。
空中だったらカプセルいらないだろうね。」
落花生にもね、都合があるんだな。
人間の都合じゃなくてね。
私たちは、どうも慣れすぎているようです。
「原因→結果」と「手段→目的」という、あとづけの考えに。
何でもそれにあてはめるという、暗黙のルールに。
落花生は、もちろん、そんなふうに考えていません。
そのままに、カプセルと実がいっしょにできるのです。
それは、紙の表だけを切ろうとしても、
裏もいっしょに切れてしまうのに似ています。
紙の存在はひとつ、表裏は一体。
ことばの上で「表と裏」に分けているだけ。
もちろん、人間の都合で分けているだけ、です。
便利なのですが、つい、肝心なことを忘れちゃってますね。
いっしょだってことを。
落花生さんのおかげで、気づきました。ありがとう。
殻(から)と実(み)はいっしょ。
人間の体(カラダ)と身(み)もいっしょ。
中身は外身。実はひとつ。
出典・参照:ある落花生農家のおじさんの話、以下のエンパレットなど
耳順(耳したがう)とは?①(人のことばをじぶんの声にかえる)