There’s no way to happiness. Happiness is the way. (幸せはゴールではなく、生きている道)
幸せは、人生のゴールでしょうか?
幸せでしょ?と どこかで聞いた気もしますね。
アリストテレスは、人間の理想とすべき幸福について説きました。
それは、「善き心」という意味の、「ユーダイモニア」ということばで知られます。
しかし、そもそも、人生のゴールというものを、じぶんひとりで持てるのでしょうか?
じぶんひとりの「幸せ」は、あるのでしょうか?
やさしそうで、むずかしいこの問いに、イマニュエル・カントは明快に、こう説きました。
道徳とは、幸せになるための教えではない。幸福にふさわしいふるまいをするための教えである。
「哲学を学ぶ」のではない。哲学することを学ぶのである。
「幸せの哲学」も、それを生きないことには意味がありません。
なるほど。
でも、もうすこし、具体的な指針はないのでしょうか?
具体的に何をしたらよいのでしょうか?
カントは、このように言います。(注1)
(1)じぶんで考える
(2)相手の身になって考える
(3)このふたつを結い合わすこと
自分だけがうまくいく方法を探すのではなく、
じぶんの行動原理と、じぶんが親身に関わる世界の原理をあわせる。
善き心とは、努力によって得られる習慣だけ。
そうなんですね、
幸せとは、ゴールではなくて、共に感じる営み。
その道筋のことなのです。
幸せはゴールではない。
そう思えるだけで、気を楽にすることができます。
そして、これまでじぶんを縛っていたものが何だったのか、す想像できます。
出典・参照:アリストテレス『二コマコス倫理学』、Immanuel Kant 『The Foundations of the Metaphysics of Morals』(カント『道徳形而上学の基礎づけ』)、以下のエンパレットなど
(注1) Immanuel Kant『Introduction to Logic』より、
(1) think oneself (2) put oneself in thought in the place or point of view of another (3) Think consistently