Empathemian,

Death is within life. (死は生の内側にある)

The heart is counting up, not down,
until the final beat.(鼓動は、カウントダウンではない。いのちがたたまれるその時まで、数えあげている)

道元禅師の『正法眼蔵』に、こういうことばがあります。

生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。
たとへば冬と春のごとし。
冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。

生も、その時のあり方である。
死も、その時のあり方である。

冬には冬のあり方、春には春のあり方がある。

道元禅師は、このことを「前後際断ぜんごさいだん」と言います。

起きている時と、寝ている時では、時間と存在のあり方がちがう。
冬が春になるのではなく、春が夏になるのでもない。
その時は、その時としてある。

同じように、母は、昔の母から減った姿ではない。

いま共にいるのは、劣化版、減衰版の母ではない。

私たちは、一本の時間軸で人を見ようとします。

病気になり、年老い、死に近づく。
だから、今の母を、昔の母から何かが失われた姿として見てしまう。

でも、いま私と共にいるのは、その母ではない。

今という時を生きる母である。
別の様式で、いまを生きる母である。

昔の母も、失われたわけではない。
思い出せば、いつだって、その時の母に会える。

そして目の前には、今という時を生きる母がいる。

作(文・挿絵・声に出すことば):坂口立考
出典・参照:『正法眼蔵』「現成公案」、以下のエンパレットノートなど