Empathemian『me and I』

I’m the agent of the silent self.(私は、暗黙のじぶんのエージェント)

じぶんのことは、じぶんがいちばんよく知っている。

そう思っていますよね。
でも、本当にそうでしょうか。

じぶんは、いつもここにいます。
見ている。聞いている。感じている。考えている。
だから、じぶんのことはわかっている。

そう思ってしまいます。

でも、実は、私たちは「じぶん」を直接見ているわけではありません。

脳の中を見たことはありません。
心の動きを、そのまま見たこともありません。

それどころか、じぶんの顔でさえ、鏡がなければ見ることができません。
じぶんのふるまいも、後ろ姿も、見えない。

じぶんは、最も身近で、いちばん見えない存在です。

ダニエル・カーネマン博士は、こう言います。(*注1)

脳の中には、ふたりのじぶんがいる。

❶ ひとりは、今、体験しているじぶん(Experiencing Self)。
❷ もうひとりは、後で、思い出す自分(Remembering Self)。

今、感じているじぶんと、後から意味づけをする自分がいる、というのです。

❶ 今、体験しているじぶんは、とても速い。
見た瞬間に感じる。聞いた瞬間に反応する。気づく前に、もう動いている。

❷ 一方で、後から思い出す自分は、ゆっくり。
考える。説明する。理由をつける。「あの時の私はこうだった」と、後から物語をつくる自分です。

Empathemian, Daniel Kahneman

Who told you that?(だれに聞いたの?)

私という人間の脳には、ふたりのじぶんがいるのです。

❶のじぶんは、気まぐれ。
❷の自分は、面倒くさがりや。

❷の自分は、❶のじぶんのエージェント。
代理人です。

❶のじぶんが体験したことを、❷の自分が記憶にします。
思い出し、判断し、理由をつけます。

問題は、❷の自分は、いつも正確な代理人ではないことです。

全部は覚えていません。
細かいことは省き、印象に残ったところだけを拾います。
そして、都合よくまとめます。

一部だけを取り出して、「これがじぶんだ」と決めてしまいます。

ぼくは、〇〇が嫌い。
私は〇〇が苦手な人間です。
俺は、まだ大丈夫だ。
私には、無理だわ。

それを言っているのは、誰でしょうか?
体験しているじぶんではありません。
じぶんを代弁している、もうひとりの自分です。

私たちはじぶんのことを知っているつもりでも、実は、知っているのは「じぶんそのもの」ではなく、後からつくった自分のイメージなのです。

それがうまくいっている時はよいかもしれません。でも、そうでない時もあります。

疲労した身体の声を聞かずにいると、身体を壊します。
まだ、挑戦する前から「できない」と決めつけると、チャンスはやってきません。

実は、❶体験するじぶん、無意識にふるまうじぶんは、「私」の95%以上を占めます。
ところが、❶のじぶんのエージェントは、❷の自分しかいないのです。

Empathemian, 『Two selves in empathy』

Listen to the silent self.(おとなしいじぶんの声をきく)

自分でじぶんは、よく見えない。

主観とは、❷の自分がつくる見方です。
一人称の自分がつくる、じぶんの見方。

では、客観なら見えるのでしょうか?
客観とは「外から見た私」です。
他人に見えるのは、私の一部だけです。

それは、私が「見せた私」かもしれません。
あるいは、「よく見せた私」かもしれません。

日々の小さなふるまい。心の中の動き。
ゼロ人称の「じぶん」は、主観にも、客観にも、よく見えないのです。(*注2)

では、どうしたらよいのでしょうか。

声に出す。
内省を書く。
ふるまいに映し出す。

そして、ふりかえる。
たしかめる。

❷の自分には、それができます。

思い込みや決めつけもする。
けれど、ふりかえる力があります。
思い直し、考え直すことができるのです。

「じぶん」が、自分に見えるようにする。
声とふるまいに残す。
それをしっかり、見る。

そして、聞く。
じぶんを、内側からよく聞くのです。(*注3)

出典・参照:Daniel Kahneman『Fast and Slow』、以下のエンパレットなど

(*注1) ダニエル・カーネマン博士は心理学者です。人間がどのように感じ、判断し、行動するのかを研究しました。その成果は、経済学にも大きな影響を与えました。経済とは、売る、買う、選ぶ、決めるといって人間の行動の集まりです。人間は、いつも合理的に考えて決めているとは限りません。直感や思い込み、記憶の影響を受けながら判断しています。カーネマン博士は、この人間の判断のしくみを明らかにし、行動経済学の発展に大きく貢献したことで、2002年にノーベル経済学賞を受賞しました。

(*注2) 主観にも、客観にも、限界とバイアスがあります。「客観的に言うと」と言いながら、実はその人の主観的な考えであることもあります。また、「客観的データ」と言っても、あくまで、あなたという固有の人間そのものではなく、世の中一般との比較です。そこには、何を測り、何と比べるかというものさしの選び方や、精度の限界があります。一方で、主観も、じぶんに対して他人の目を向けることになりがちです。「本当のじぶん」を見ているつもりで、世の中の理屈や他人の評価を、自分にあてはめていることもあります。

(*注3) 「内側から聞く」とは、単なる比喩ではありません。声を出す時、私たちはその声を耳から外の音として聞くと同時に、発声する脳の働きから聴覚へ伝わる内的な信号としても聞いています。特に母音は、息と声帯と口の中の共鳴でつくられます。声に出すとは、じぶんの中に響かせ、その響きを内側から聞くことでもあります。声に出して、文字通り、内側から聞くのです。

ゼロ人称のじぶん ③ (思う以前に動いている へつづく