Empathemian『Indra’s Net in Avatamsaka Sutra』

We all are connected.(みな、つながっている)

私たちは、インドラの網のようにつながった「共感の宇宙」に生きています。インドラの網(あみ)とは、無数の宝珠(ほうじゅ)が結びあい、ひとつひとつがたがいに映しあうという、大乗仏教(華厳経)の宇宙観を表すメタファです。

宮沢賢治『インドラの網』より。

「ふと私は私の前に三人の天の子供らを見ました。その燃え立った白金のそら、湖の向うの鶯いろの原のはてから熔けたようなもの、なまめかしいもの、古びた黄金、反射炉の中の朱、一きれの光るものが現われました。それは太陽でした。厳そかにそのあやしい円い熔けたような体をゆすり間もなく正しく空に昇った天の世界の太陽でした。光は針や束になってそそぎ、そこら一面かちかち鳴りました。

「ごらん、そら、インドラの網を。」

私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変わったその天頂から、四方の青白い天末まで一面はられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互いに交錯し光ってふるえて燃えました。

「ごらん、そら、風の太鼓。」

本当に空の所々マイナスの太陽ともいうように暗く、藍や黄金や緑や灰色に光り空からおちこんだようになり誰も叩かないのに力いっぱい鳴っている、百千のその天の太鼓は鳴っていながらそれで少しも鳴っていなかったのです。

「ごらん、蒼孔雀を。」

誠に空のインドラの網のむこう、数しらず鳴りわたる天鼓のかなたに空一ぱいの不思議な大きな蒼い孔雀が宝石製の尾ばねをひろげかすかにクウクウ鳴きました。その孔雀はたしかに空にはおりました。けれども少しも見えなかったのです。たしかに鳴いておりました。けれども少しも聞えなかったのです。そして私は本当にもうその三人の天の子供らを見ませんでした。帰って私は草穂と風の中に白く倒れている私の形をぼんやり思い出しました。」

華厳経の「インドラの網」と高次元分類ネットワークの関係(挿絵は早田博士作)

We are the network.(われらがネットワーク)

「われらがネットワーク」とは、だれかがつくったものに参加するという意味ではありません。私たち自身がすでにその網であり、その声であり、その光です。

夜の大空を見上げるだけで、実感できます。じぶんもまた、その無限のつながりの一部なのだと。

それは、小さな「共感の儀式」のようなもの。

作(文・挿絵・声にすることば):坂口立考
出典・参照:宮沢賢治『インドラの網』、三中信宏『宮沢賢治と早田文蔵』、英語耳°トレイル 10 Look at the sky、以下のエンパレットノート

Look at the stars

宮沢賢治『インドラの網』(青空文庫)

「早田文蔵」