
Action changes the odds. (行為が確率を変える)
「すみませんが、先日依頼していた件、お返事ください。」
あれ?おかしいな。
もう返事したはずなのに。
見ていないのだろうか?
3月までは普通にやりとりできていたのに、4月になって急に何が起きたのだろう。もしかすると迷惑メールボックスに入ってしまったのでは?
電話をかけてみる。
「迷惑メールボックスに入っていませんか?」
「あ、ありました。」
こういうこと、ありますよね。
何が起きていたのでしょうか。
メールには、受信側で自動的に「通常メール」と「迷惑メール」をふり分けるフィルターがあります。
もちろん、一通ずつ、人が見て決めているわけではありません。受信側システムが「迷惑らしさ」を見立てているのです。
すると、こう思いますよね。
「え、なぜ私のメールが急に迷惑になったの?」
では、なぜ、そんなことが起きるのでしょうか。

What if. Maybe. (かもしれない、という仮説)
受信システムの見立ては、差出人の情報、たとえばアドレス、件名、本文中の単語などをもとに、その都度判断しています。
しかし、その判定は固定ではありません。急に迷惑メールになったのは、受信側のフィルター条件に何らかの変化があったからだと考えられます。
ただ、この問題には、もう一つやっかいな点があります。
それは、差出人の側からは、それが見えないことです。
差し出す側には、相手の迷惑メールボックスに入ったことが見えない。
受け取る側も、迷惑メールボックスを開かないかぎり、届いていることに気づかない。
どちらかが異変に気づき、迷惑メールボックスをひらき、そこで発見しないかぎり。
返事が来ない。
でも、こちらは送ったはずだ。
3月までは普通に届いていた。
4月から何か、見えないところで変わったのではないか。
そう考えて、はじめて、「もしかして迷惑メールに入ったのでは?」という見立てが立ち上がり、次の行動が生まれます。

Belief updates.(信念は更新される)
この見立てが生まれる過程をアブダクションと呼びます。(*注1)
メールが届いていないという結果から、見えない原因をさかのぼって仮説を立てる発想です。
よくある日常的な話ですが、ここで本当に大事なのは、見立てが固定されたままではない、ということです。
受信システムの側もまた、「たぶん迷惑かもしれない」という最初の見立てがあります。そして、人が「迷惑ではない」と判断して、通常の受信箱に戻す。すると、その行為が新しい事実となって、システムの見立てが更新されます。
最初の見立ては、事前確率。
更新されたあとの見立ては、事後確率。
つまり、システムは新しい事実を受けて、あとから見立てを変えるのです。(*注2)
学びは、教わっているその瞬間だけに起こるのではありません。
学びは、あとから起こる。
行為が確率を変える。
見立てが変わる。
その変化の中で、じぶんもまた変わっていきます。

Do it anyway. Odds will change.(とにかくやってみる。可能性は変わるから)
確率というと、最初から決まっているもののように思いがちです。
でも、そうではありません。
新しい事実が入れば、見立ては変わる。
そのアイディアを数理として切り開いたのが、18世紀イギリスの牧師トマス・ベイズ(冒頭のイラスト)でした。(*注3)
ベイズが示したのは、確率とは固定した数字ではなく、経験によって更新される見立てだ、ということです。だからこそ、迷惑メールボックスから通常ボックスに戻すという小さな行為にも、とても大きな意味があります。正確に言えば、その行為はシステムにとって新しい事実となり、見立てを更新するので、迷惑である確率が下がる方向に働くのです。
行為は、結果を変えるだけでなく、次の見立てそのものを変えるのです。
このことは、すべての学びに通じます。
フォーム(姿勢や心得)を変えれば、新しい事実が生まれます。
新しい事実は、見立てを変える。
見立てが変わると、センスが変わる。
ものごとが違って見えるようになります。
その流れの中で、スキルの変化も起きています。
行動が確率を変える。
確率は、あとからあなたを学ぶのです。
出典・参照:以下の文献と、エンパレットなど
Thomas Bayes『An Essay towards solving a Problem in the Doctrine of Chances』(1763年)
Chris Frith『Making up the mind』(2007)
(*注1) アブダクションは、目の前の事実から「もっともありそうな説明」を立てる推論です。たとえば「返事が来ない。もしかして迷惑メールに入ったのでは?」という仮説を立てる思考です。
一般に、論理には3種類あります。①演繹 (Deduction)、②帰納 (Induction)、③アブダクション (Abduction) 。演繹は、一般原理から個別の結論を導くこと。帰納は、個別の事例から一般的な傾向を見いだすこと。これに対してアブダクションは、結果や事実から、まだ見えていない原因へさかのぼる推論です。
こうした仮説形成はベイズの説いた確率更新と深く重なっています。確率は未来予測の中核にある考え方であり、現代の数理統計、データサイエンス、AIを支える重要な基盤です。と言っても、むずかしく考える必要はありません。ふだん、「もしかして〇〇ではないのかなぁ?」という思いつきやひらめきがありますよね。それです。
(*注2) このエピソードに即して言えば、迷惑メールボックスを開き、その中からメールを見つけて、通常ボックスへ戻す。これは、ふつうあまり起きません。そもそも多くは気づかれないからです。だからこそ、その行為が実際に起きたことは、システムにとって重みのある新しい事実になります。その結果、「迷惑ではない」という見立ての確率は上がり、「迷惑である」という見立ては下がる方向に更新されるのです。

(*注3) トーマス・ベイズ(Thomas Bayes, 1702-1761)は、牧師であり、趣味として数学の研究をしていました。ある考えを見いだしましたが、生前に発表することはありませんでした。死後に彼の遺稿が『確率問題の解決のためのエッセイ』として発表されましたが、200年の時をへて「ベイズの定理」と呼ばれる画期的かつ実用的な考えであることがわかったのです。原因から結果を推論するのではなく、結果から原因を逆推定すること。事後になって、事前の見立てを更新することです。
ベイズ推定そのものの解説や統計手法の説明は、世の中にたくさんあります。けれども、せっかく手法を学んでも、それをじぶんの行動にどう生かすか、という話はとても少ない。なぜでしょうか。ひとつには、私たちが「答えを教えてもらう」ことで済ませてしまいがちだからです。あなたの〇〇確率は何%、そう言われると、それをそのまま受けて取り、可能性が低いという宣告のように感じてしまいがちです。
でもそれは、だれかがその時点で立てた事前の見立てにすぎません。確率というコンセプトをつくったのは人間です。現実は、固定した宣告としてではなく、確率的なばらつきを含んで現れます。偶然起きることがたくさんあるからこそ、チャンスも生まれる。だから、あなた自身の行為によって、見立ては変えられるのです。確率自体がアップデートされる。その流れができるようになることが、じぶん自身が変わることです。スキルの獲得や上達は、そのほんの一部の結果なのです。
トーマス・ベイズのオリジナル遺稿は、こちらでごらんになれます。
An Essay towards solving a Problem in the Doctrine of Chances
(*注4) 「もしかして〇〇ではないのかなぁ?」という思いつきやひらめきは、脳の基本的な働きと深くつながっていると考えられています。近年の認知科学や神経科学では、脳は外の世界をただ受け身に映しているのではなく、つねに世界についての見立てをつくり、何が起こるかを予測し、実際に入ってきた感覚とのずれを受けて、その見立てを更新している、と考えられています。これは「ベイジアン脳」や「予測処理」と呼ばれる見方です。脳は、気づいていなくても、予測と更新のループをやすみなく回しているのです。
ベイズの式で言えば、P(B|A) は「A という見立てが正しいなら、B という事実はどれくらい起こりそうか」という予測の側面を表し、P(A|B) は「実際に B という事実がわかったあとで、A という見立てをどれだけ変えるか」という更新の側面を表します。つまり脳は、予測を立て、ずれを受けて、世界モデルを更新し続けている、とみることができるのです。
けれども、人はどこかでこの営みを止めてしまうことがあります。答えを教えてもらうだけで済ませ、自分で見立てを立て、ずれに気づき、それを更新することをやめてしまう。そうなると、見立てはじぶんのものではなくなってしまいます。言うなれば、それは「教えてもらうことへの依存」(教えて依存)であり、さらにそれが習慣になって、じぶんでは気づかなくなっている状態が「教えて惰性」です。
たかが迷惑メールの出来事。けれども、そこで終わらせてしまうのは、もったいない。そのような小さな出来事の中にこそ、気づきの入口があります。
