A stairway affords climbing.(階段のおかげで登れるんだよ)
あ、上に人がいるね。
かなり急な坂道。
でも大丈夫。
階段があるから。
何の変哲もない、日常の光景。
このことばを思い出すと、目の前の世界の見え方が一変します。
あなたの力を引き出してくれる力。
それは、環境の中にあります。
じぶんひとりで登っているつもりでも、助けられているのです。
階段にアフォーダンスがあります。
そう、アフォーダンスです。
アフォーダンスは、みちびく力。
やりやすいように、しむけてくれる隠れた性質。
A chair affords sitting.(椅子のおかげですわれる)
こんなふうに考えると、世界の見え方が変わります。(*注1)
相手がいるから、話ができます。
相手がいるから、ことばをわかちあうことができます。
ことばは、じぶんの頭の中の在庫から取り出すもの?
好き勝手に使える道具?
そのように思っていても、ことの根源はそうではありません。
え?
相手がいなくても、じぶんの頭のなかでことばを使っているのでは?
ことばは思考のツールですよね?
いいえ。
相手がいるから、ことばになるのです。
気づいていないだけ。
じぶんひとりで考えられるのは?
じぶんが相手になっているからです。
相手に語るように、じぶんと共に思考をわかちあっているのです。
ことばがあるから、考えられる。
相手があるから、ことばが生まれる。
みな共にあるから、私たちは生きられるのです。
出典・参照:ことばとアフォーダンスに関するエンパレットなど
(*注1)日常の中で、いくらでも探すことができます。たとえば:
A way affords walking.(道のおかげで歩ける)
Words afford thinking.(ことばのおかげで考えられる)
Air affords breathing.(空気のおかげで呼吸できる)
A breath affords vocalizing.(ひと息のおかげで、ことばを声にできる)
相手と共に紡ぎ出すことば (身のまわりの時間と空間のアフォーダンスによって)