Empathemian, Fremont Older, CA

Don’t do what you don’t want others do to you.(じぶんが人にされたくないことは、してはいけない)

これは、次のふたつのエンパレットの補完編です。

「共感のふるまい、じょ
(エンパレット第1話)

身につける ④ 奥の窓もあけよう

まず、いちばん大切なことは、じょ
じょとは、相手の身になること。ゆるすこと。

ある方から、こんな質問がありました。
儒教、最高の徳はじんでは?

よくこんな説明がされます。

じょ:じぶんが人にされたくないことは、人にもしない。(じぶんが基準)
(思いやり、相手の身になる気持ち、ゆるす心)

じん:人がじぶんにしないことは、じぶんにもしない(人が基準、じぶんの想像)
(思いやり。自他のわけへだてをしない、いつくしみ。一切のものに対して、親しみ)

大切なことは、たくさんあります。
あれもすべし、これもすべし。
でも、いっぺんにできません。
順に学び、実践していくしかありません。

したがって、まず大切なのは、何かひとつ、はじめにすることです。
そして、いつも、そこに帰ってこられる、原点。

抽象的なことばで表される概念を、実践するために。
何が原点?どこからはじめる?
それを弟子にやさしく語ったのが、孔子の説いた恕でした。
恕は、心のプラクティスの原点です。

心の4つの窓

身につける ④ 奥の窓もあけようでは、こんな考え方を紹介しました。

① じぶんがしてほしいと思うことを、人にもする
② じぶんが人にされたくないと思うことは、人にもしない
③ じぶんが相手にしてあげたいことを、じぶんにもする
④ じぶんが相手にしないことは、じぶんにもしない 

恕は、②であり、④でもあります。
④ は、「仁」にも近そうです。
④を通って、仁にたどりつく道ということかもしれません。

仁「人がじぶんにしないことは、じぶんにもしない」を原点にした、いつくしみ。

基準は、相手。でも、それを想像できる力がいります。
そして、相手というより、人全体に、一般化されています。

仁は、人の世界全体の抽象概念に昇華した崇高な教え。
理想高い哲学も、実践のため。
行動するための哲学。
でも、知識だけでは、なかなか人の助けになれません。

恕は、順番にプラクティスできることからはじめる原点。
いつも、思い出せる、原点です。

Be true.(真実であれ)

出典・参照:『論語』(金谷治訳)、以下のエンパレットなど

「共感のふるまい、恕」

身につける ④ 奥の窓もあけよう

ゆるす[声にしてあげてしまえば]