Don’t do what you don’t want others do to you.(じぶんが人にされたくないことは、してはいけない)
これは、次のふたつのエンパレットの補完編です。
「共感のふるまい、
(エンパレット第1話)
まず、いちばん大切なことは、
ある方から、こんな質問がありました。
儒教、最高の徳は
よくこんな説明がされます。
(思いやり、相手の身になる気持ち、ゆるす心)
(思いやり。自他のわけへだてをしない、いつくしみ。一切のものに対して、親しみ)
大切なことは、たくさんあります。
あれもすべし、これもすべし。
でも、いっぺんにできません。
順に学び、実践していくしかありません。
したがって、まず大切なのは、何かひとつ、はじめにすることです。
そして、いつも、そこに帰ってこられる、原点。
抽象的なことばで表される概念を、実践するために。
何が原点?どこからはじめる?
それを弟子にやさしく語ったのが、孔子の説いた恕でした。
恕は、心のプラクティスの原点です。
身につける ④ 奥の窓もあけようでは、こんな考え方を紹介しました。
① じぶんがしてほしいと思うことを、人にもする
② じぶんが人にされたくないと思うことは、人にもしない
③ じぶんが相手にしてあげたいことを、じぶんにもする
④ じぶんが相手にしないことは、じぶんにもしない
恕は、②であり、④でもあります。
④ は、「仁」にも近そうです。
④を通って、仁にたどりつく道ということかもしれません。
仁「人がじぶんにしないことは、じぶんにもしない」を原点にした、いつくしみ。
基準は、相手。でも、それを想像できる力がいります。そして、相手というより、人全体に、一般化されています。
仁は、人の世界全体の抽象概念に昇華した崇高な教え。
理想高い哲学も、実践のため。
行動するための哲学。
でも、知識だけでは、なかなか人の助けになれません。
恕は、順番にプラクティスできることからはじめる原点。
いつも、思い出せる、原点です。
Be true.(真実であれ)
出典・参照:『論語』(金谷治訳)、以下のエンパレットなど